銀舎利を黄金に染めて寒卵    嵐田 双歩

銀舎利を黄金に染めて寒卵    嵐田 双歩 『この一句』  まずは掲句を賞賛、納得しきりの言葉から紹介しよう。「コース料理の最後にTKGが出てきたのにはびっくりした。銀舎利という懐かしい言葉が郷愁を誘い、季語の『寒卵』はぴったり」(木葉)、「刺身の後にカツサンドやシチューが出るなど、料理は意表を突くものばかり。〆の卵かけご飯も完食した」(迷哲)などなどである。  正月七日、新宿御苑前に集合し、神楽坂までという山ノ手七福神吟行があった。花園神社の裏に回り、ゴールデン街を掠めラブホテル街を抜けという非日常の体験をしつつトコトコ。この一句の舞台となったのは、居酒屋での打ち上げ風景。天候に恵まれ、久し振りの散策に励んだせいの心地よさもあってか、一同和気藹々とした会食だった。  質量ともに大好評の料理で、とりわけ話題が集中したのが、最後の卵掛け御飯。卵を割ると、幾分オレンジ色を帯びた黄身が盛り上がり、光り輝いていた。多分、鶏舎でなく放し飼いで、それなりの餌を与えられたものではないか。食べ切れずに卵を持ち帰る人を見つつ、「唐土の鳥が…」という七種の囃し言葉を思い出したりもした。 (光 23.01.19.)

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寒の入ホテルに消えた今弁天   中沢 豆乳

寒の入ホテルに消えた今弁天   中沢 豆乳 『合評会から』(新宿七福神吟行) 迷哲 恋多き現代の弁天様は、愛を確かめるためにホテルに籠られるのですね。 三薬 場所柄、目に入ってしまった。と、言うよりも目を皿にして探してたんちゃいますか?爺さんまだまだ、生臭でんな。弁天さんばかり見てると、奪衣婆に睨まれまっせ。 水牛 鬼王稲荷に行く途中、歌舞伎町のホテルに独りですっと入って行く半コートの女性があり、私が思わず「あ、ご出勤だな」とつぶやいたら、誰かが「何、それ」と。IT時代の「派遣遊女」です。スマホで選んで、指名して、指定の場所に「出前」する(のだそうです)。            *       *       *  新春七日に「新宿山ノ手七福神」を巡った初吟行の句である。コースの途中にラブホテル街があり、そこで目にした女性を、何とも色っぽい句に仕立てたものである。弁天様(弁財天・弁才天)はヒンズー教の女神が仏教に取り入れられたとされ、日本では琵琶を持った姿で知られている。音楽や知恵、財福の神とされ、七福神中の紅一点である。新宿七福神では、抜け弁天と呼ばれる厳嶋神社に祀られている。  その抜け弁天へ向かう道すがらの光景。作者は同行の水牛氏の〝解説〟を聞き、句想を得たのであろう。あたかも寒の入り翌日の七日。ホテルに入られた弁天様を想像するのも、七福神詣ゆえと許されたい。 (迷 23.01.18.)

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外ツ国の人も参詣福の神     前島 幻水

外ツ国の人も参詣福の神     前島 幻水 『合評会から』(新宿七福神吟行) 双歩 色紙を大事そうに掲げて御朱印を集める外国人女性がいましたね。その姿を動画で撮るパートナーも印象的でした。 光迷 路上で行き交ったり境内で顔を合わせたりしました。観光客ではなく、日本に住んでいるのだとは思いますが。国際化の一端かも。 可升 七福神詣でアジア系の人と一緒になるのは珍しいことではないが、この日はアングロサクソン系と思われるカップルが、手に地図を持ちながら我々の列の前後を歩いていた。どんな気持ちで七福神巡りをしているのか訊ねてみたかった。           *       *       *  「新宿山ノ手七福神」は吟行コースとしてはあまり魅力的ではない。東京メトロ新宿御苑前駅そばの閻魔様で有名な太宗寺を振り出しに、歌舞伎町、新宿二丁目、三丁目、ゴールデン街など名にし負う“フーゾク街”を縫い歩き、あとは神楽坂まで殺風景な大久保通りをだらだら歩くだけ。途中これといった見ものも無い。というわけで長らく吟行候補から外れていたのだが、もう20年もやっていると都内の七福神はほとんど巡り尽し、ついに順番が回ってきた。しかし回ってみれば今日的風景がそれなりに面白い。  さすがは国際都市新宿、外国人の「七福巡り」に出くわした。とても嬉しそうに御朱印をもらう行列に加わっていた。外国にも聖地巡礼などの習いがあるから、こうした日本の古俗に絞った観光キャンペーンを欧米で繰り広げたら意外に受けるかも知れない。…

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乱戦の初場所世相写すかに  大澤 水牛

乱戦の初場所世相写すかに  大澤 水牛 『この一句』  作者は知る人ぞ知る相撲好きである。どんなに好きかは、このブログの「水牛のつぶやき」を読めばすぐわかる。筆者は社員全員が原価計算と品質管理をしているような会社で育ったため、すぐに統計をとりたがるのが悪い癖。昨年一年間に掲載された「つぶやき」は全部で85篇。そのうち相撲に関する記事は18篇。約2割が相撲の記事である。大相撲は一年六場所。従って相撲が開催されている時の率は、その倍の約4割となる。しかも、一場所は十五日だから、場所中はほぼ相撲の記事が占めていると言って良い。それくらい大相撲好きということである。  記事の内容をよく見ると、この初場所に限らず毎場所乱戦模様である。たとえば昨年の名古屋場所のタイトル。「焦熱地獄の名古屋場所」(7.8)、「案の定めちゃくちゃ場所」(7.10)、「興味は朝乃山の復活だけ」(7.11)、「でたらめ名古屋場所終る」(7.24)。要するに白鵬なき後、常に乱戦なのである。  この句は相撲の乱戦が世相に似ていると詠んでいるのだが、その本意は、むしろ世相の乱れが深刻であり等閑視できないという思いを句に仕立てたと読める。ウクライナのこと、防衛費のこと、おさまらぬコロナ禍のこと・・・。ご贔屓の朝乃山が今日も勝ったのがせめてもの救いか。 (可 23.01.16.)

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物ぐさの虫起きたるや掘炬燵   徳永 木葉

物ぐさの虫起きたるや掘炬燵   徳永 木葉 『合評会から』(日経俳句会) 春陽子 「物ぐさの虫」、新種の発見に一点入れました。 健史 諧謔の味、最高です。 操 掘炬燵の柔らかい温もりは懐かしさも加わり、物ぐさは誰にも。 光迷 自嘲の一句ですかね。それとも連れ合いへの皮肉? いずれにせよ、掘炬燵が何とも羨ましい。 木葉(作者) 建売の自宅に備え付けの掘炬燵があります。当初は物珍しさに喜んで使っていましたが、今は見向きもしませんね。           *       *       *  暖房の在り方が大きく変わって来た。かつては火鉢や炬燵だったのが、ストーブや暖炉になり、パネルヒーターやエアコンに。最近は床暖房が重宝されている。熱源も炭や薪、石炭が灯油に、さらにガスや電気へという具合である。作者が住宅を購入したのはいつのことだろうか。30年以上前のことなのだろうか。  暖房システム談義はともかく「物ぐさの虫」というのは面白い。暖かい炬燵から出るのが嫌になった覚えは誰しも持っているだろう。だが、連れ合いに叱咤されてか、留守番をしているところに宅配便が到着したか、炬燵を離れざるを得なくなった。「あーぁ」という気持ちが伝わって来る。 (光 23.1.15.)

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涅槃像横たふ枯野阿蘇五岳    中嶋 阿猿

涅槃像横たふ枯野阿蘇五岳    中嶋 阿猿 『おかめはちもく』  冬場に枯野となった阿蘇の草千里。目を上げれば中岳をはじめ五岳がくっきりと浮かび、巨大な涅槃像が横たわっているように見える。枯野の広がりと遠景の山々の雄大さを詠んだ、いわゆる構えの大きな句に見える。  阿蘇五岳はカルデラの中心にそびえる連山で、高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳から成る。北側の外輪山から望むと、根子岳を顔にして、残る四岳が胸、腰、足と連なり涅槃像のようだ。地元の人々や観光客にはよく知られており、初夏の水田の水鏡に映った姿や冬の雲海に浮かぶ像の写真が観光案内のページを飾っている。  枯野の大景を詠んだ句として点を集めると思ったが、意外に伸びなかった。現地に行ったり、写真で見た経験があれば情景が浮かぶが、そうでない人は涅槃像と阿蘇五岳が結びつかなかったのであろう。あるいは涅槃像は寝釈迦や涅槃会とともに春の季語であり、枯野との取り合わせに違和感を持った人もいたのではないか。 そこで涅槃像の印象を弱めるため、阿蘇五岳と入れ替えてはどうだろう。「阿蘇五岳枯野に浮かぶ涅槃像」とか「阿蘇五岳枯野に拝む涅槃像」など考えてみた。枯野が季語として立ち上がって来るのではなかろうか。 (迷 23.01.13.)

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鬼柚子の獅子とも見ゆる湯舟かな 谷川 水馬

鬼柚子の獅子とも見ゆる湯舟かな 谷川 水馬 『季のことば』  柚子湯は冬至の習いで、新年十日過ぎに取り上げるのはちょっと時期を逸した感があるが、気持ちの良い句である。柑橘類は多種多様であって、世界中の人々が好み、さまざまに利用する。果実を食べるもの、汁液をもてはやすもののほか、形の大小や皮質の違いで分かれるだろう。  みかん、オレンジ、レモンの艶やかな肌に対し、柚子のゴツゴツした肌は異質である。柚子は香辛料、調味料として日本料理に欠かせないものと思える。筆者も柚子好きだ。柚子胡椒は柚子でなくてはならないし、澄まし汁に一片、二片入れればあら不思議、高級料亭の味に変わる。  というわけで、掲句に惹かれて柚子とは何ぞやと調べてみた。原産地は西域や揚子江流域らしく平安初期に日本に伝わったという。酸っぱいから「柚の酸(ゆのす)→柚子」となったとある。掲句の鬼柚子は獅子柚子ともいい、ザボンの仲間になるらしい。名前の通りゴツゴツとした形状で、鬼とも獅子とも呼ばれるようになったのだろう。  作者は冬至の晩、この鬼柚子を風呂に浮かべ邪気払いとしたのだ。湯にたっぷり浸かりながらしみじみ鬼柚子を見れば、言われるように獅子頭にも見えることよと思った。冬至の湯舟の穏やかさがうかがえるような句で、読む者がほっこりする一句である。 (葉 23.01.12.)

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迎えなき退院の日は冬の雨    石丸 雅弘

迎えなき退院の日は冬の雨    石丸 雅弘 『合評会から』(三四郎句会) 久敬 退院日に迎えが誰もいない心細さをしみじみ感じます。 諭 迎えがないばかりか、冷たい雨が降っている。哀愁を覚えますね。 有弘 老いの侘しさを感じますが、これに耐えなければならない。 賢一 寂しいけれど、これが現実なのかな。 尚弘 そうですね。独り者の寂しさがよく表れている。 進 私も体験しています。この頃は慣れたものですが・・・ 桜子 寂しさの中に現代的な感じもあって、好感が持てました。           *       *       *  「迎えなき退院の日」は、さまざまな状況が考えられよう。奥さんが勤めに出ているとか、別の用事があるとか。すでに亡くなっている、ということもあるだろう。作者は快晴の予報を信じ、家族に「迎えはいらないよ」と伝えていたのかも知れない。  タクシーを呼び、我が身を労わりつつ、「よいしょ」などと言いながら、座席に乗り込むと、後は無言のまま。回復の状態を「もう大丈夫だよ、ほらね」と、奥さんに示せないのが、一番、寂しいことなのだろう。 (恂 23.1.11.)

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歳時記に付箋の増えて十二月   嵐田 双歩

歳時記に付箋の増えて十二月   嵐田 双歩 『合評会から』(日経俳句会) 雀九 私の歳時記もそうなっていたので、いいところに目をつけたなと。 三薬 俳句作りに頑張って努力したんだ。俳句仲間としてよかったねと・・。 反平 たしかにそうだ、ボクもページの上、横、斜めにいっぱい付いている。うまいこと考えた。 方円 一年を振り返るのに歳時記の付箋をもってきた。なかなかいい振り返り方だなあと思った。 明生 かなり熱心な作者と感心しました。私なんか十二月になっても何も貼っていません。見習わらなければと思いました。 阿猿 一年間、春夏秋冬ていねいに詠み重ねて来た満足感が伝わって来る。 操 春夏秋冬新年それぞれ詠んだ季語に付箋があり、過ぎし一年を実感する。 定利 佳い句が出来たでしょうね。来年の十二月が楽しみ。           *       *       *  評者が口々に述べているように、まことにいいところに着目したものだ。句づくりをしていると、歳時記ばかりでなく本や雑誌にすぐに付箋を付けたがる。昔は直接赤鉛筆で傍線を引いたりページの耳を折ったり、栞を挟んだりしたものだが、傍線は見苦しいし、栞は落ちてしまったりする。ところが近頃は着脱自在のシール式付箋があるから、簡単に付けられる。付けると安心して、そのまま忘れてしまうのが常で、年の暮れともなると歳時記は倍に膨らんでしまう。 (水 23.01.10.)

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住む前は銀杏落葉にあこがれし  旙山 芳之

住む前は銀杏落葉にあこがれし  旙山 芳之 『この一句』  銀杏の黄葉ほど見る者の目を楽しませてくれるものはないと常々思っている。近くは神宮絵画館前、愛宕神社石段下、あるいは浜町の明治座通り、遠くは喜多方熊野神社長床、大阪御堂筋など、黄葉の映像がありありと目に浮かぶ銀杏の木や並木道がある。黄葉が終わり冬になると、葉っぱは風に吹かれて落ち葉となる。  作者は家探しをしている時に、銀杏の葉が飛ぶ景色を見て、「なんて風情のある土地だろう。よしここに住もう」と決めたのではないだろうか。ところがいざ住んでみると、落ち葉の量は半端ではなく、掃いても掃いても片付かない。雨が降った後などは、路面に落ち葉がへばり付いて、剥がすこともままならない。もしかすると、銀杏の実のあの強烈な匂いにも悩まされているのかも知れない。  この句は「住む前は」という散文的な入り方が、俳句としての軽さにつながり、読み手が思わずクスッと笑ってしまうような効果を出している。すなわち、銀杏の落ち葉に苦労しているのは事実だが、それでもやはり幾分かはその風情を楽しんでいるという雰囲気を匂わせている。決して間違った家選びではなかったと信じたい。 (可 23.01.09.)

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