縄文の遺伝子目覚むどんど焼き  中村 迷哲

縄文の遺伝子目覚むどんど焼き  中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 三代 どんど焼きは見たことがない。炎は縄文あたりの遺伝子を目覚めさせる感じがして。いま縄文時代が好きで色んな所に見に行っているんですが、「どんど焼き」と「縄文」の取り合わせがいいなと思った。 水牛 炎が立ち上がるさまを詠んだ句が多かった。どれにしょうかと思ったが、縄文の炎が一番鮮やか。血沸き肉躍る感じがしました。 静舟 遮光土器が手をかざし暖を取っている。 光迷 火を見ると猛り狂いたくなるのかはともかく、この心情理解できます。もっと盛大に天まで燃えよと。 阿猿 火を見ると高揚したり興奮するのは、キャンプファイヤーや暖炉の火などでも感じる。           *       *       *  当然のことだが、「左義長・どんど焼」の兼題句には炎が猛り立つ様子を詠んだ句が多かった。その中でも特にこの句は「縄文時代」を取り合わせたところが出色である。三代さんや静舟さんの評にもあるように、今や縄文ブームで、縄文土器や縄文遺跡巡りが大流行である。  浜辺や山間の枯田の中の、大規模などんど焼きの紅蓮の炎は物凄い迫力だ。見ていると吸い寄せられるような、しかし熱さに煽られてのけぞり、身体中の血が沸き返るような興奮を覚える。確かに縄文の荒々しい血が呼び覚まされる。 (水 23.01.31.)

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松過ぎのたこ焼き奉行立通し   谷川 水馬

松過ぎのたこ焼き奉行立通し   谷川 水馬 『この一句』  正月も四日を過ぎるとおせち料理に飽きてきて、カレーやラーメンが食べたくなる。この家では、カレーでも、ラーメンでもなく、松過ぎにたこ焼きパーティをしたようだ。  たこ焼き奉行が「立通し」と言うのだから、よほど沢山作ったのだろうが、果たして関東にそんなにもたこ焼きに入れ込む家があるのかと訝った。作者の名前を聞いて合点が行った。ご本人は鹿児島県の生まれだが、令夫人は和歌山新宮生まれの、大阪と兵庫川西の育ち。旦那によれば、手に「銀の匙」ならぬ「たこ焼き用の千枚通し」を持って生まれて来た、たこ焼き名人らしい。  筆者は常々たこ焼きを焼くコツは、溶いた粉を溢れるほど入れることと、立って焼くことだと思っている。前者は、粉の量をけちると、返した時に裏側がきれいな丸にならず、壊れた宇宙船のような形なってしまうから。後者は、立って焼くと、千枚通しが斜め上からたこ焼きに刺さり、うまく回せるから。それでなくとも、一度に二十個くらい焼けるたこ焼き器、悠長に坐って焼けるような生半可な代物ではない。この句の「立通し」こそ名人の証ではないだろうか。立通しで焼いてどんなに疲れても、孫の「バァバ、美味しいよ」の一言で癒されるのに違いない。名人の焼くたこ焼きを一度よばれたいもんである。 (可 23.01.30.)

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枯野行く歩荷のリズム狂ひなし  大澤 水牛

枯野行く歩荷のリズム狂ひなし  大澤 水牛 『合評会から』(日経俳句会) 春陽子 たぶん尾瀬に行った人が詠んだ句でしょう。「リズム狂ひなし」という言葉、よく出たなあと思いました。 二堂 「リズム狂ひなし」がぴったりの姿を表している。 芳之 「狂ひなし」がとても効果的です。一定のリズムが伝わってきます。 百子 まったくその通りですね。何回も同じ枯野を歩いているのですから。 水馬 歩荷の歩くさまをよく表現出来ていると思います。枯野に似合いますね。           *       *       *  歩荷(ぼっか)という存在、山歩きの人にはお馴染である。歩荷と書くのは当て字とかで、語源がどこにあるのか気になるところでもある。俳句の世界に登場する例は少ないだろうが、詠まれれば類句を思いつかず清新な印象をあたえる。山好きは歩荷の姿、歩様を瞬時に思い起こすことができる。背負子で数十キロにおよぶ荷を担ぎ、山小屋などに運搬するあの姿である。ことに尾瀬の歩荷は有名で、掲句も先年の尾瀬吟行を詠んだものと作者は言う。  重荷を背負っているのだから歩くリズムとバランスが重要だ。ふらつけば荷崩れや転倒の危険もある。「リズムよく」が肝要である。「リズム狂ひなし」の措辞が歩荷のすべてを表現し、そのうえ尾瀬の「枯野」を舞台にして隙間がない。 (葉 23.01.29.)

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シャッターを肩で押し上げ初仕事 玉田春陽子

シャッターを肩で押し上げ初仕事 玉田春陽子 『この一句』  作者には好んで詠む題材がいくつかある。どんなテーマでも詠み方が巧みなので、いつも高点を攫っている。代表的なのは色や形を詠んだ作品だ。「ストローをのぼる空色夏来る」は、昨年度の日経俳句会の最優秀賞に輝いた。デザイナーである作者の本領発揮、実に鮮やかな切り取り方だ。「冬めくや駅に手作り小座布団」などに見られるように、小道具をあしらうのもとても上手い。  掲句はもう一つの得意分野。職人などの働く人の仕草に着目した作品だ。過去には「野分晴れひたと墨打つ宮大工」、「電気工一人花見の灯を点す」、「婦長にも私服の日あり赤セーター」など、どの句の登場人物も息づかいが聞こえるほどの存在感がある。  小さな町工場か何か、電動ではなく手で押し上げるタイプのシャッターを開ける仕草をスケッチした作品だ。作業着を着ているかもしれない。地面から手で少し持ち上げ、しゃがんで肩を入れそのまま立ち上がって、両手を上げて最後まで押し上げる。そんな一連の動作を目撃しているような錯覚に陥る。ガラガラという音まで聞こえてきそうだ。  毎朝繰り返す、極めて日常的な動作。年が改まり、そんな日常がまた始まった、という雰囲気を季語「初仕事」がしっかり受け止め、読者にある種爽やかな親近感を抱かせる。「うまいなあ」と感心するしかない。 (双 23.01.27.)

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野を走る一輛なれど初電車    加藤 明生

野を走る一輛なれど初電車    加藤 明生 『季のことば』  新年になって初めて電車・自動車・船・飛行機などに乗ることを「乗初(のりぞめ)」という。角川俳句大歳時記によれば「初詣や年始回りでいろいろな乗り物に乗ると、新鮮で高揚した気分になる」。初乗、初電車、初車、初渡船、初飛行などいずれも新年の季語である。例句には「初電車子の恋人と乗り合はす」(安住敦)、「鬼子母神までを日和の初電車」(岸田稚魚)などが載っている。  掲句はその季語を、野原を走る一輛だけの電車に重ねている。初電車は賑やかな都会や観光地を走るものを詠んだ句が多いので、賑やかさとは遠いローカル線の一輛に意表を突かれた。  野を走る一輛となれば、北海道の原野や東北の田園を走る景が思い浮かぶ。首都圏では小湊鉄道やいすみ鉄道でも見られる。作者は正月の旅先でトコトコ走る電車を目にしたのであろう。たとえ野を走ろうとも、一輛であろうとも正月に走るのは初電車である。「なれど」の措辞に、けなげに走る電車への応援の思いがにじむ。  ローカル鉄道はもともと過疎化で経営が厳しかったところに、コロナによる乗客減が追い打ちをかけ、存廃の危機に立たされている。JR各社は路線ごとの収支を公表し、第三セクター移譲、バスへの転換、廃止などの選択を迫っている。初電車の賑やかで目出度い印象と、ローカル鉄道の厳しい現実の落差が胸をつく。季語の本意とは少しズレるかもしれないが、心に残る初電車である。 (迷 23.01.26.)

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獅子頭母に埋まる抱っこの子   篠田  朗

獅子頭母に埋まる抱っこの子   篠田  朗 『季のことば』  獅子舞も現代の正月習俗から消えゆくものの一つかも知れない。都会ではショッピングモールなどの大規模会場で、餅つき大会と並んでショーあるいは余興に成り下がってしまった。地方では伝統芸能として脈々として受け継がれているようだが、それも過疎化や東日本大震災のため減少しているという。江戸期から祝い事、祭りに欠かせなかった獅子舞、筆者にも様々な思い出がある。北海道の田舎の秋祭りには、一本歯の高下駄を履いた天狗、中に二人が入った獅子舞は町内練り歩きの必須アイテムであった。小学生の筆者は獅子舞に頭を噛んでもらうのが常。頭がよくなるという俗信を信じていた訳だが、長じてみればこの駄文をご覧のとおりボンクラ頭。  それはさておき、掲句の「獅子頭」である。幼児にはよほど怖いものであるようだ。孫が二歳くらいの十年以上前、蕎麦屋で食事中に流しの獅子舞が飛び込んできた。孫はヒキツケを起こさんばかりに震えて、こちらがびっくりしたことだ。それだからこの句はよく理解できる。獅子頭は木を細工して作るのが古来。今日日は発泡スチロール製もあるというので驚いた。木製ほどに迫力のあるものが出来るのかどうかは知らないが。この句は「獅子頭」と置くより、「獅子舞や」と置いたほうが獅子の乱舞と迫る獅子頭に「抱っこの子」の恐怖心がより表現できたのではないかと思う。採らなかった理由を言訳がましく言ってしまった。 (葉 23.01.25.)

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武家の出と言ふ姑の芋雑煮    高井 百子

武家の出と言ふ姑の芋雑煮    高井 百子 『この一句』  日経俳句会の1月例会は初句会にふさわしく、雑煮が兼題となった。選句表には投句者の出身地を反映して、イクラ入りの蝦夷雑煮や餡子餅の讃岐雑煮など郷土色豊かなものが並んだ。おいしそうな雑煮を選ぼうと眺めていたら、掲句が目に留まった。  夫の実家で迎えた正月であろうか。家伝の芋雑煮を前に、姑が「そもそも我が家は武家の出で、この雑煮は……」などと出自と由来を嫁に聞かせている。武家生まれを誇りに生きてきたのであろう。和服を着こなす矍鑠とした老女像が浮かんでくる。正月の改まった気分と、伝統の重みみたいなものを上手に詠み込んだ句である。  姑自慢の芋雑煮とはどんな内容だろう。ネットで調べると、里芋を具材にした雑煮は東北地方や京都など各所で見られる。親芋から子芋がたくさん増えることから、子孫繁栄の願いが込めているという。京都は親芋や海老芋を丸ごと入れて白味噌仕立てに。山形や仙台では芋がらを柔らかく炊いて入れ、醤油ベースの出汁と合わせるようだ。  作者に問い合わせると、義母上は水戸の武家の出と言う。茹でた里芋と小松菜を乗せただけのシンプルな雑煮で、質素がモットーだったそうだ。水戸家といえば自尊心の強い家中として知られる。武家の出を常々口にする姑であれば、嫁であった作者の苦労もまたしのばれるというものだ。  (迷 23.01.24.)

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糸三つ葉ゆるりと結ぶ雑煮椀   星川 水兎

糸三つ葉ゆるりと結ぶ雑煮椀   星川 水兎 『合評会から』(日経俳句会) 双歩 「ゆるりと」がいい。正月のゆったりした感じでいただいた。「糸三つ葉」をもってきたのもいい。 而云 糸三つ葉は知らなかった。調べてみたら結べるんですね。そういう上品なところが……どっか地方にこういう風習があるんですかね。感心しました。 朗 お節には緑色が乏しいのですけど、その中で緑色が鮮やかに浮かぶ句だなと思って。 愉里 雑煮自慢というのがありそうで、自分もこうありたいなと、こういうお雑煮に憧れます。 雅史 脇役かも知れない三つ葉も、視覚的には主役を張っているなと改めて気付かされました。 水馬 気持ちの良い句で、正月らしい句だなと思います。 十三妹 さりげない句ですが、新春の香りが爽やか。           *       *       *  糸三つ葉は温床で作る、昔は超高級野菜だったが、いまはビニールハウス産でスーパーで安売りしている。ちょっと青味が欲しい時にとても重宝する。これを小松菜の代わりに雑煮に入れた。ぐんと上品な雑煮になるだろう。薄いピンク色の鶏肉にイチョウに切った白い大根と紅色の人参と、鮮やかな緑の結び三つ葉。薄っすらきつね色の焼餅とで、目出度さも一入である。初句会の最高点句。 (水 23.01.23.)

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七福神変わる新宿路地巡り    前島 幻水

七福神変わる新宿路地巡り    前島 幻水 『この一句』  正月松の内の七日に句会恒例の七福神吟行を催行した。今年は「新宿山ノ手七福神」。区内に散在する七社寺を巡る穏やかな冬晴に恵まれ、20人が新宿の繁華街を通り抜けながら福を授かって回った。  コースは新宿御苑駅にほど近い古刹・太宗寺をスタート地に、ゴールの神楽坂・善國寺まで七キロ弱。足弱な人は一部地下鉄を利用しつつ、全員が元気に巡り終えた。掲句はその七福神吟行をさらりと詠みながら、コースの特質をよく伝えている。  新宿は変貌の激しい街である。コースの前半には昔の赤線地帯・新宿二丁目、飲み屋が密集するゴールデン街、さらにはラブホテル街が続く。狭い路地に古びたバーやスナックが並ぶ一方で、派手なホテルが軒を連ねている。途中には寄席の末廣亭が昔のたたずまいで残っていたり、ビル街の谷間にめざす神社があったりという具合だ。  作者は路地を歩きながら、若き日、あるいは壮年の頃に訪れ、遊んだ新宿を思い返したのではなかろうか。「変わる新宿」はありきたりの表現に見えるが、実際に路地を歩いた体験があると、そこに変わってしまった新宿、還らぬ日々への哀惜が込められているように思う。 (迷 23.01.22.)

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ほろ酔ひを照らす満月松の内   廣田 可升

ほろ酔ひを照らす満月松の内   廣田 可升 『合評会から』(新宿七福神吟行) 双歩 宴の後の帰り道、夜空にはまん丸お月様が。 青水 この日七日は寒中の満月。みなさんご無事で福詣を完遂されました。帰り道の神楽坂で出会った、煌々たるお月さまの美しかったこと!ありがとうございました! 木葉 飲みかつ食い、満腹の打ち上げでした。ほろほろ酔って外に出れば満月。金星もまたたき言うことのない一夜でした。 光迷 太った腹をなでながら、飯田橋に向かう途中、ふと空を見上げると綺麗な月が出ていて…。いい吟行、いい正月だったと、いい気分に。 白山 私もほろ酔いで帰りました。 幻水 ちょうど満月。吟行の締めの句として美しくまとめています。           *       *       *  筑土八幡下の鰻の寝床のような古い民家を改造した、いわゆる「レトロな呑み屋」。客も若者が多く、賄い方も若い。刺身が出てきたかと思えばカツサンドが出てくるといった具合の店だが、どれも結構美味しくて、我らバアサンジイサン一行も大いに満足。たらふく食べて呑んで、大満足で飯田橋駅への大久保通りには澄んだ寒満月が笑っていた。令和5年新春七福神吟行の大団円を言祝いだ一句。 (水 23.01.20.)

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