足音も過去となりゆく師走かな 玉田春陽子
足音も過去となりゆく師走かな 玉田春陽子
『この一句』
年末の一日一日が過ぎて行く。時計の針の動きとともに、現在が過去になって行くようである。そして一月を迎えれば、誰もが新たな日々の始まりを自覚するのだが、その感覚もほどなく失せ、普通の日々が始まる。やがて春が過ぎ、夏も行き、秋を迎えて十二月が近づく頃、「一年」という大きな時の区切りのことが気になり出すのだ。
掲句はそして、時の流れとは別次元の足音が「過去となりゆく」と詠む。言われてみれば「なるほど、その通り」と思わざるを得ない。夜更けに帰宅する自分の足音も、家の外を通り過ぎる人の音も、大きな足音も、小さな物音も、現在の音から過去の音となり、全ての音が来年に向かって消えて行くように感じられよう。
師走の夜更け、窓際の椅子に座り、道行く人の足音に耳を澄ます。遠くに小さな靴音が聞こえ、少しずつ大きくなり、垣の外を通り過ぎて行く。これこそが過去となり行く音なのだが、別の物も一つずつ消えて行く。部屋の壁に残るカレンダーの最後の一枚を眺めてみよう。書き込まれていた予定が、日ごとに消えて行くはずである。
(恂 22.12.27.)