又ひとり離村したとや山眠る 金田 青水
又ひとり離村したとや山眠る 金田 青水
『季のことば』
今しも「山粧ふ」という全山紅葉に酔いしれる季節。今年は三年ぶりに行動制限もなく、インバウンド客も入ってきて華やかに賑やかに紅葉シーズンを迎えている。今後の気温しだいだが、平地の遅いところでは十二月半ばまで赤、黄のグラデーションと杉檜など緑の対比が楽しめるだろう。山はやがて灰色と暗褐色に支配される。北日本では雪が積もり、山容を柔らかく見せながら深い眠りにつく。本格的な「山眠る」の時を迎え、厳しい冬が訪れる。
ところで、俳句の世界では山は四季ごとに四度変身することになっている。『水牛歳時記』にあるように、北宋の画僧の詩に由来するとのことだ。春は「山笑ふ」、夏の「山滴る」、秋は「山粧ふ」、冬の「山眠る」とみてくると、なるほど的確な表現に感心する。
さて掲句である。過疎地の荒廃ぶりは昨日今日始まったわけではない。高度成長時代を機に年々ひどくなっていった。学術用語かどうか知らないが、限界集落とかいう名のもとで政治も遠慮なく切り捨てていく。
作者の故郷新潟でもそうなのだろう。離農しなければならないほど営農不能になった。後継者難、規模零細、換金作物が出来ないなど理由はいくつもあろうか。過疎地では離農すなわち離村となる。その時が「山眠る」の季節だ。作者は故郷の便りで「又ひとり離村」を知ったのである。
(葉 22.12.08.)