大雪は知らず大東亜戦争も    須藤 光迷

大雪は知らず大東亜戦争も    須藤 光迷 『季のことば』  「大雪(たいせつ)」は二十四節気の旧暦11月前半を示す季節指標。太陽暦では12月7日から15日間が「大雪」。高山は雪をかぶり、北海道、東北北陸などでは平地でも盛んに雪が降り始める。北日本は鰤(ぶり)や鰰(はたはた)漁で賑わう。関東地方でも南天の実が赤く色づき、北風が吹いてぐんと寒さが増す。いよいよ本格的な冬の到来である。  そして翌8日、昭和16年(1941年)のこの日、大日本帝国海軍が真珠湾奇襲攻撃を行った。ここから悪夢の4年間の大東亜戦争が始まり、米国を中心とした連合国軍の呵責ない攻撃に日本全国焦土と化して、敗戦。以後10数年、日本国民は衣食住に事欠く、塗炭の苦しみを嘗めた。この句の作者は自分の幼少期を思い出しながら、のびのびと屈託無く過ごす少年少女や青年男女を眺めて感慨に耽っている。  一年を24分割して、それぞれの季節的特徴を冠した「二十四節気」は古代日本人が中国から輸入した暦で、本場中国ではほとんど忘られてしまった今も、暮らしの節目を示す言葉として用いている。しかし、立冬、立春、冬至、夏至などはまだしも、「大雪」となると、現代の若者は「なにそれ、おおゆき?」なんて言う。そして、「日本がアメリカと戦争したなんてウソでしょ」と真顔で問いかける子さえいる今、「大東亜戦争」はほぼ死語と化している。  一方、狭い日本海を隔てた向こうにいる狂人集団がやみくもにミサイルをぶっぱなす現状に乗って、充分議論されないまま、日本国…

続きを読む

陽の匂ふ子供の髪や帰り花    谷川 水馬

陽の匂ふ子供の髪や帰り花    谷川 水馬 『合評会から』(酔吟会) 愉里 「陽の匂ふ子供の髪」の措辞で自分の子供のことを思い出し、そういうこともあったなと思っていただきました。 双歩 たしかに子供の髪に陽の匂いを感じることがありますね。そういうのをうまく句に詠んだと思います。帰り花もほのかな匂いで、子供の髪の匂いほのかさとよく合っています。           *       *       *  帰り花には寂しさがつきまとう一方、小春のぽかぽかした陽気の中にぽっと咲いて、行きずりにこれを見つけた人が、何か思わぬ拾い物をしたかのような感じを抱くところがある。つまり「帰り花」という季語には「寂しさ」と「明るさと温み」の両面がある。古今の例句を見ると、取り上げ方はごく大雑把に「寂しさ」6と「明るさ」4といったところか。  初冬の小春日には着ているものを一枚脱ぎたくなるほどの気温になることがある。しかし日暮れは早い。浮かれて遊び廻る子供たちを引き寄せて帰り支度する。うっすら汗ばんで、髪の毛は日向くさくなっている。  健康的な感じが伝わってくるこの句は、「帰り花」の明るい側面を詠んで成功している。 (水 22.12.06.)

続きを読む

海鳴りを聞きて五浦の石蕗の花  岩田 三代

海鳴りを聞きて五浦の石蕗の花  岩田 三代 『この一句』  地名など固有名詞を詠み込んだ俳句は、両刃の剣の面がある。知っている人は記憶を重ねるので句の理解が深まるが、知らない人にはチンプンカンプンになりかねない。五浦(いづら)は茨城県北部の太平洋に面した観光地だが、句会では読み方を知らない人もいた。  五浦海岸は波に削られた断崖と大小の入り江が独特の景観をなす。明治39年に岡倉天心が日本美術の再興を唱えて移り住み、横山大観や下村観山らを呼び寄せて、日本画の新しい表現を模索した場所としても有名だ。海に突き出た岩場に天心が建てた「六角堂」がある。東日本大震災の津波で流されたが、翌年に再建され観光スポットとなっている。  こうした知見があると、掲句の世界が広がる。東京を遠く離れた五浦の地で、海鳴りを聞きながら修行に励んだ若き大観や観山。そのひたむきな姿が、海岸の岩場に根を張り、ひそやかに花を咲かせる石蕗に重なる。  石蕗はキク科の多年草で海岸部や山林に自生する。海鳴りと石蕗の花の組合せが、孤独に耐えて生きる姿をイメージさせる。五浦に行ったことがなくても、険しい海岸で波涛を見詰める人物と、風雪に耐える石蕗の黄色い花がくっきり浮かんでくる。掲句は日経俳句会の11月例会で最高点を集めたが、五浦をよく知らない人も点を入れていたことがその魅力を物語っている。 (迷 22.12.05.)

続きを読む

独り居のよいしょと立ちて葱刻む 今泉 而云

独り居のよいしょと立ちて葱刻む 今泉 而云 『合評会から』(酔吟会) 道子 「よいしょ」という言葉が自分自身に響いてきて、立ち上がって葱を刻む。日常をちゃんと捉えている気がしました。 双歩 独り居ですから、「たいしたことは出来ないけれど、葱くらい刻むか」というところでしょうか。侘しい気分がよくでています。「葱」がいいですね。 百子 葱を洗って刻めば、お醤油をかけて食べられるし、豆腐に乗せるのもいい。独り居にはぴったりです。 春陽子 「よいしょ」で期待を持たせて、そのあとで「なんだ葱か」と思わせるところに俳味があります。 水馬 実家に帰った自分の姿にぴったりの句です。 三薬 「独り居」がわざとらしくて採りませんでした。           *       *       *  「よいしょ」と言い出したら老いの始まりとよく言われる。それで私は「よいしょ」と言わないように心がけているのだが、ついつい発してしまう。「よいしょ」は不思議な言葉である。  合評会でわざと悪口を言うことで人気のある三薬さんが「独り居」がわざとらしいと言った。たしかに「よいしょ」と立ち上がって葱を刻むというのだから、年寄りの独り居は言わずもがなという感じもするが、まあ目くじら立てるほどのこともあるまい。湯豆腐でも作るか、と腰を上げた老夫の姿がまざまざと浮かぶ。連れ合いはすこぶる元気で短日の今日もお出かけである。 (水 22.12.04.)

続きを読む

文化の日最前列でタカラヅカ   旙山 芳之

文化の日最前列でタカラヅカ   旙山 芳之 『合評会から』(日経俳句会) 三薬 文化の日に実際に宝塚を見に行ったんでしょう。最前列でねえ。非常にのんびりしていてよろしい。宝塚というカタカナもよろしい。以上です。 健史 文化の日、最前列、タカラヅカ。印象の強い三つの言葉の組み合わせが絶妙です。 実千代 文化の日とタカラヅカの対比がおもしろい句です。 愉里 よほどの伝手がないと最前列のチケットなんて手に入らない。たまたま文化の日 に一番前でタカラヅカ見られたっていうことはちょっとないことかな。           *       *      *  句友のなかに熱心なヅカファン(それも男性)がいるとは初めて知った。ヅカガールとかヅカファンというカナ表記をして、自ら一般の観劇愛好者と区別するところがある。古い歴史と厳格な規律が支配する女の園を、世の男が憧れの眼差しでみても無理はない。  毎春、宝塚音楽学校の合格風景は風物詩である。花、雪、月、星、宙の五組があるくらいは、一度も舞台を観たことのない朴念仁の筆者でも知っている。「雪月花」といえば短歌俳句の世界に通じる。どの組に作者お目当てのスターがいるのか。年季の入ったファンなら特別の伝手があるのかもしれない。なんと最前列でレビューを愉しんだと衒いもなく句にした。読む人も「ああよかったね」と気持ちがよくなる。こんな〝自慢〟めいた句ながら嫌味はない。それは晴れの特異日「文化の日」のことでした。 (葉 22.12.02.)

続きを読む

右膝が冬の初めを報せをり    向井 愉里

右膝が冬の初めを報せをり    向井 愉里 『合評会から』(酔吟会) 双歩 年寄りの句会だとついついこういう句を採ってしまいますね。俳句甲子園には絶対に出て来ません(爆笑)。詠み方がうまいですね。 鷹洋 私の場合は右膝ではなく、左膝です。他人事ではなく、同情票ならぬ同調票を投じました。 水牛 私の場合は、左膝が五回痛むと、右膝が一回といった感じで・・。この句は、自分のことを詠んでもらった気がします。身につまされる句です。 三薬 なぜ右膝なのかよくわかりませんが、右でも左でもいいやと思って採りました(笑)。           *       *       *  じつに上手な句だと思った。こういう句を詠もうとすると、ついつい「右膝の痛み」と詠みたくなる。あるいは「古傷の痛む」などとも詠みたくなる。ところが、この句には「痛み」も「古傷」も出て来ずに、そのような事情を読み手に了解させている。しかも「冬の初めを報せおり」である。句の主語は間違いなく「右膝」なのだが、句意の主は「冬の到来」であり、きちんと季語が立っている。  作者が膝痛にいちばん縁のなさそうな愉里さんだと知り驚いた。「さほどでもないのですが・・・」と言いつつ、句会の開かれる芭蕉記念館への道すがら浮かんだ句だという。直前まで粘った甲斐がありました。 (可 22.12.01.)

続きを読む