故人(なきひと)の顔一つずつ除夜の鐘 石黒賢一

故人(なきひと)の顔一つずつ除夜の鐘 石黒賢一 『合評会から』(三四郎句会から) 諭 除夜の鐘を聞きながら、故人を一人ずつ偲んでいるのですね。 雅博 除夜の鐘を聴く人に共通する心情を、上手に表していると思う。 正義 その通りですね。一人一人が、それぞれに成仏されているのでしょう。 而云 鐘の音一つ聞くごとに、亡き人一人ずつの顔が浮かんでくる。省略が効いています。 豊生 我もまた鐘の一つに・・・。いざ、晩節を正しく、清く、と思っております。           *       *       *  大晦日の夜の日付が変わる頃、近くの寺院の撞く除夜の鐘が「ゴーン、ゴーン」と聞こえてくる。この鐘の音は、人の心にある百八の煩悩を祓うため、と言われている。さて合評会で、掲句について「皆さん、語り終えたかな」と思った時のこと。最年長の豊生氏が、至極真面目な表情で、上記のことを話し出した。著名な仏教寺院で修行の経験を持つ方だが、その真剣な表情を見て、句会の全員が粛然とせざるを得なかった。 (恂 22.12.30.)

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夫在りし去年の師走のなつかしき 藤野十三妹

夫在りし去年の師走のなつかしき 藤野十三妹 『合評会から』(日経俳句会22年下期合同句会) 愉里 一年前を懐かしむジーンとくる句だと。 可升 今年亡くされた。世間が忙しい師走に寂しさがいや増す。それをさらっと詠んでいる。「在りし」に漢字を使ったのもいい。 青水 そこに衒いもなく、句会を意識していない句としていい気持にさせてくれる。 道子 師走の忙しさに懐かしさがさらに増すのでしょう。胸に迫ります。           *       *       *  年の暮れにはさまざまな一年の思い出が脳裏をめぐる。せわしない世間と身辺をよそに忘れがたい記憶に瞬時浸るのもこの時期。作者は今年、長年連れ添った夫君を亡くし一人ぼっちになった。去年の今ごろは病床の夫もいて、なにやかやと世話を焼いていたのにという感慨が湧くのだろう。いずれにしろ、各々の選句者が口をそろえて述べたように、ジーンと胸に迫る句である。  先日久しぶりに句会に出席され掲句を投句した作者によると、夫死去後の後始末が大変だと言う。頼みの息子娘もおらず、自分ひとり相続に書類と電話の毎日で忙殺されている。そんな中、今日の句会があることに気づき思い切って家を出て来たとのことだ。「句会を楽しんでいます、今まで休んでいて損をした」とも。句会は日ごろのモヤモヤを忘れさせてくれる効用もあるようだ。 (葉 22.12.29.)

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年の暮れ鏡に喜寿の顔ひとつ   須藤 光迷

年の暮れ鏡に喜寿の顔ひとつ   須藤 光迷 『合評会から』(日経俳句会) 愉里 作者は喜寿を迎え、ほっとしているところがいいなと思った。 三薬 鏡を見たら年寄りの顔、という句はよくあるが、私も喜寿でその人へのお祝いの意味で採りました。 方円 自分の顔は毎日見ている。年の暮れに見てふだんと違う感想を持ったのでしょう。 三代 ふとした一瞬をとらえた上手な句だと思います。喜寿の顔と年の暮れが絶妙に響き合っている。 水馬 鏡を見ながら「今年も無事だった、七十七年間ありがとう」とつぶやく作者の顔が目に浮かびます。 定利 喜寿が百寿まで続くように。 弥生 ふと目に入った鏡の中の私。我が身に思いをいたすのも年の終わりなればこそ。           *       *       *  三薬さんの言う通り、鏡に映った自分の顔を詠んだ句は多い。誰しも毎日一度は鏡を見る機会があるので、太っただの、やつれただの、親の顔に似てきただの、見る度にいろんな感慨が浮かぶ。読者にも思い当たる節があるので共感を呼びやすい。  作者は暮れの「数へ日」に誕生日を迎えた。喜寿という節目に自分の顔を見て、しみじみと感じるものが去来したのだろう。俳句は自分史、と言い切る人もいる。紛れもなく作者の人生の一断面を記した一句で、仲間に祝福された。 (双 22.12.28.)

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足音も過去となりゆく師走かな  玉田春陽子

足音も過去となりゆく師走かな  玉田春陽子 『この一句』  年末の一日一日が過ぎて行く。時計の針の動きとともに、現在が過去になって行くようである。そして一月を迎えれば、誰もが新たな日々の始まりを自覚するのだが、その感覚もほどなく失せ、普通の日々が始まる。やがて春が過ぎ、夏も行き、秋を迎えて十二月が近づく頃、「一年」という大きな時の区切りのことが気になり出すのだ。  掲句はそして、時の流れとは別次元の足音が「過去となりゆく」と詠む。言われてみれば「なるほど、その通り」と思わざるを得ない。夜更けに帰宅する自分の足音も、家の外を通り過ぎる人の音も、大きな足音も、小さな物音も、現在の音から過去の音となり、全ての音が来年に向かって消えて行くように感じられよう。  師走の夜更け、窓際の椅子に座り、道行く人の足音に耳を澄ます。遠くに小さな靴音が聞こえ、少しずつ大きくなり、垣の外を通り過ぎて行く。これこそが過去となり行く音なのだが、別の物も一つずつ消えて行く。部屋の壁に残るカレンダーの最後の一枚を眺めてみよう。書き込まれていた予定が、日ごとに消えて行くはずである。 (恂 22.12.27.)

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身延線枯野に淡く富士の影    中沢 豆乳

身延線枯野に淡く富士の影    中沢 豆乳 『この一句』  俳句を読む楽しみのひとつに、行ったことのない場所を句の内容から想像し、疑似体験できることがある。ガイドブックや旅行記に頼らなくても、わずか十七文字を読み下すだけで、ありありと光景を思い浮かべることができる。  掲句はそんな好例である。ローカル線である身延線の沿線に広がる蕭条とした枯野と、そこに淡く影を投げる富士山という雄大な景が見えてくる。句会では「身延線に乗ったことないが乗ってみたいなと思わせる句」(可升)との評もあった。  評者はたまたま今年五月に身延線に乗ったことがあり、句を読んで「どの辺りだろう」と気になった。身延線は甲府駅から富士駅まで、富士川に沿って走る山岳路線である。甲府から乗ると山間を縫うように走り、大半の区間は山容が迫って富士山は拝めない。 そこで作者に聞いてみた。すると富士川の下流域で、河原に広がる枯野と大きな富士山を遠望した体験があり、それを詠んだという。作者の母親の実家が甲府にあり、大阪に勤務していた頃に静岡で身延線の特急に乗り換えて甲府までよく帰ったそうだ。特急が富士川の鉄橋を渡る辺りに枯野と富士山を望めるビューポイントがあり、作者はここでの記憶を詠んだと推察される。枯野越しの富士の影は、母の思い出につながる影でもあったようだ。 (迷 22.12.26.)

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年暮るゝエンゲル係数高止まり  金田 青水

年暮るゝエンゲル係数高止まり  金田 青水 『この一句』  令和4年はロシアのウクライナ侵攻を引き金にエネルギー価格が急騰、それが小麦をはじめとする食料などにも波及、国際的な物価高に見舞われ、政治的にも経済的にも揺れに揺れた年だった。日本の場合は急激な円安が価格高騰に拍車をかけ、政府はガソリン価格の抑制策などを打ち出したが、これにはバラマキと批判する声も上がった。  句会の合評会で大澤水牛さんが「令和四年の年末を詠みとめた句。女房の代わりに毎日お使いに行っているけど、食料品が軒並み騰がっています。だがなぜか消費者物価指数から生鮮品が外されている。これこそ庶民の生活実感を無視したもの。そんなこともあっていただきました」とコメント、これに「物価高は実感です」の声が続いた。  ちなみに11月の消費者物価は3.7%とほぼ41年ぶりの上昇率、生鮮を除く食料は6.8%だった。外食も5.3%上昇した。物価手当を支給する企業も出始めたが、中学生や高校生など食べ盛り・伸び盛りの子供を抱える家庭では、カバーするのは極めて難しいだろう。これも馬鹿な異次元緩和、円安誘導のアベノミクスのツケなのだが、ここで愚痴っても仕方あるまい。 (光 22.12.25.)

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冬帽子掛けていつものカウンター 廣田 可升

冬帽子掛けていつものカウンター 廣田 可升 『この一句』  バーのカウンターで飲む酒は、居酒屋のそれとは随分趣が異なる。一人で入ってバーテンダーと言葉を交わしながらちびちびやるも良し、気が置けない友と静かに杯を交わすのも悪くない。若いころは、カウンターに留まってバーボンなんぞ注文して粋がっていたこともあった。さすがに最近はそんな機会は少なくなって、せいぜいが赤提灯のカウンター席で熱燗を舐めるくらいだが。  掲句の作者は、馴染みの店があるようだ。どんな形態の店だろう。カウンター席のほかにボックス席があるような飲み屋だろうか。常連の作者には定まった席があるのかもしれない。椅子に座ると、店のマスターか女将さんから「今日は何かいいことあった?」などと、声をかけられたりして。しかし、帽子掛けがあるような店はやはり洋風なのか。いろいろと想像が膨らむ。  俳句は一瞬を捉えることが多いが、この句の場合は時間の経過が感じられる。店に入ってコートと帽子をコートスタンドに掛け、おもむろにカウンターの空いている席に着く。その数十秒の動きを垣間見ている気がする。「いつもの」が効いて、作者と店の関係性が浮かび上がり、物語が始まる。呑兵衛の句にはつい共感してしまう。 (双 22.12.23.)

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米粒のごと柊の花こぼれ     須藤 光迷

米粒のごと柊の花こぼれ     須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) 青水 僕の部屋の前にも柊の花が咲いていて良い匂いがします。柊を愛好する人ならではの観察の細かい句ですね。 白山 柊の花はたしかに米粒のような花です。これは実際に見て詠んだ句だとわかります。 双歩 柊の花を「米粒のごと」と詠まれたことに、なるほどなあと感心しました。 幻水 情景をとても美しく詠まれたなと思いました。 水馬 建て替える前の我が家の玄関前に柊の木があったことを思い出しました。きれいな句です。           *       *       *  作者は「玄関先に柊があって、新聞を取りに行くと小さな花がキラキラ光っています」と語っていた。葉に鋭いトゲがあるので嫌う人もいるが、これが「魔除け」なのだと、門の近くや玄関の脇に植えられる。節分の門口に柊の枝に鰯の頭を刺した「柊鰯(ひいらぎいわし、やいかがし)」を飾るのも、棘と臭気で邪鬼を払う呪い。「鰯の頭も信心から」ということわざの由来になった。  今では柊鰯を飾る家は少なくなったが、相変わらず玄関近くに柊のある家は見かける。この花がぱらぱら散るようになると、「ああ本格的な冬の到来だなあ」と思う。 (水 22.12.22.)

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大雪や湯治場に満つ津軽弁    中村 迷哲

大雪や湯治場に満つ津軽弁    中村 迷哲 『季のことば』  「大雪(たいせつ)」は詠むに難しい季語の一つと思う。「秋の日」「冬の日」と同様にその日差しをいうのと、その一日のことである場合があり、季語として二通りの意味を持つ。「大雪」は節季時候のことでもあり、文字通り「おおゆき」をも意味する。詠まれた句からどちらと判断するのだが、判断に迷うことが少なくない。筆者は掲句を「おおゆき」と取ったほうがしっくりくると思った。雪に降り込められた湯治場の客を思ったのである。だが主宰からこれは「たいせつ」の句ですと言われて、そうかと思い直したことである。  稲の刈り入れが終わった農家が、一年の疲れを癒す湯治に行く風習はいまも健在かと思う。なかでも農家を継いだ若夫婦が、老親を労い温泉に送り出す例が多いと思いたい。日本各地だいたい温泉を抱えるから、農閑期には名湯秘湯がこのような湯治客であふれることになる。津軽弁が聞ける青森の温泉と言えば、大雪で名高い酸ヶ湯温泉が脳裏に浮かぶ。雪の津軽と湯治宿はよく似合う。この句の「津軽弁」が気に入ったとの句評が多く、それを示している。「どさ?(どこへ行くの)」「ゆさ!(湯屋に行くのよ)」と、近所同士が路上で会話する津軽弁は有名だ。地吹雪の津軽では言葉を極端に縮めて話すとのことだ。満員の湯宿では食事処でも湯舟でも、他県人には理解し難い津軽弁が行き交っているのだろう。季語にぴったり合う舞台を持ってきた句である。 (葉 22.12.21.)

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セーターの袖の伸びたる余生かな 玉田春陽子

セーターの袖の伸びたる余生かな 玉田春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 光迷 今の私にぴったりあてはまる句です。けっこうボロボロになっていて、この先どこまで伸びるやらわかりません。 てる夫 たまには新しいセーターにして気分転換したらどうだろう。しょぼい心境を詠んだ句ですね。 青水 私もけっこう古いのを着ています。「余生かな」の表現は少し生々し過ぎるように思うけど、それがこの句の持ち味ですね。 白山 「袖の伸びたる余生かな」とは、また上手い発見をしました。参りました。 可升 やることもなく、つまらない余生とも読めるが、実は、この作者はこんな句を詠んで、けっこう余裕のある余生を過ごしている。 双歩 そうそう、これはいわゆる自虐ネタで楽しんでいる句です。 木葉 「袖の伸びたる余生」とは、何かの喩えかな。例えば、あちこちに手を広げ過ぎて収拾がつかなくなったとか。           *       *       *  多くの人が、この句の作者はたぶんあの人だろうと予測していて、やはりあの人の句だった。誰が付けたか、この作者には「小道具の春陽子」の異名がある。この句の「袖の伸びたるセーター」もまさしくそれである。相変わらずいいところに目をつけるなと、一同恐れ入るやら、悔しがるやら。令和四年の番町喜楽会の掉尾を飾る一句。 (可 22.12.20.)

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