約束を果たせぬ予感十一月    廣田 可升

約束を果たせぬ予感十一月    廣田 可升 『季のことば』  朝晩めっきり寒さがつのる十一月だが、季語としての「十一月」はやや捉えどころのない感じがする。きっぱりと冬の到来とは言い切れない。時期ものの紅葉や菊を句に織り込むわけにもいかない。生活面から見れば寝具・衣服などの冬用意、芸術・文化行事、新酒の出来、庭木の剪定その他もろもろがある。つづめて言えば、「十一月」は冬への準備月ということになるだろうか。喪中葉書がぼつぼつ舞い込むことで、そろそろ年賀状を考えなければならないことにも気づかされる。せわしない師走を前にいろいろやらなければと思うことは多いのだが、まだ四、五十日もあるぞという気持ちが、なかなか重い腰を上げさせない。  この句の「約束」とはいったいなんだろうか。奥方や家族に約束をしたことがあって、年内には果たすことが無理かもしれない、ということなのか。コロナ流行の第8派が予見されるなか、家族旅行の計画でもあったのか。それとも交友範囲の広い作者のことだから、友人と一杯やろうという約束なのか。はたまた忘年会の約束が多すぎてとても全部に出席できないと思い始めたとも。いずれにしろこの約束の中身が気になる一句だ。十一月というこの時期、手帳あるいはスマホを手に思案する作者の姿が浮かんでくるのである。約束のなにかを言わず、さらに「予感」という曖昧模糊とした言葉で読む人に預けたのが、この句の持ち味であろう。 (葉 22.11.18.)

続きを読む