家族葬にてとの便り秋時雨 須藤 光迷
家族葬にてとの便り秋時雨 須藤 光迷
『この一句』
コロナ禍は旧来の習俗慣習を変えてしまった。マスクは必須アイテムとなって、三年近い流行の間なくてはならないものになった。外出時に着けていないと落ち着かない気になるのは、ある意味習慣の恐ろしさでもある。人を識別するのに顔かたちではなく目元を見なければならないことにもなった。「目元は人を表す」と新しい俗諺が出来るかとさえ思う。
お葬式も大きく変わったものの一つだ。以前は両親の死に際し、子は世間体もあるだろうが身の丈いっぱいの葬儀をやり、親に受けた恩に感謝する。コロナを契機にこれが出来なくなった。強烈な感染力から大勢の人が集まる密はいけないという制約がある。しかたなく家族と親戚の近しい人だけに参列してもらう、いわゆる家族葬が主流となる。簡素な葬儀となるもう一つの理由は、三十年来続く低成長社会にあると思う。富裕層はさておき華美贅沢を控える風潮が浸透している。社会的に地位ある故人でも大々的に葬儀を営むことは少なくなり、後日偲ぶ会を行う例が多い。
掲句は以上のような世相を詠んだ。この状況にはそれぞれが気付いていることだが、あらためて俳句になると一、二もなく共感できる。句会で十二点と最高点を得たのは当然のことである。「家族葬にてとの便り」の措辞がことに上手いとの評が出るとともに、「秋時雨」の季語が揺るがず情感を増幅したと言える。(葉 22.11.08.)