大木に添ふ野仏に千草添へ 向井 愉里
大木に添ふ野仏に千草添へ 向井 愉里
『この一句』
酔吟会9月例会に出され人気を呼んだ句である。「里山の風景が浮かんできました。やさしさのある句ですね」(道子)。「感じの良い句ですが、千草って何だろう。具体的な花の方がよかったかな。あかまんまとか」(百子)。「野仏に千草がいい。ただ『添へ』が重なってるが、これは意図したものですかね」(双歩)といった意見が出た。
私もいい句だなと思ったのだが、やはり「添へ」の重複に引っかかって採れなかった。作者は「本当は『供へ』なんですが、字余りになっちゃうのでこうしました。どうしたらいいでしょう」と言う。さてどうじたらいいだろう。最も簡単に直すとすれば『大木に寄る野仏に千草添へ』あたりだろうが、「寄る」と「添へ」という動詞の重なりと、説明調が際立ってしまう。
大きな欅や椋の木の根方の道祖神に秋草を供える情景には捨て難い風情がある。なんとかならないものかと句会の後も大分考えた。
考えに考え、何回もこの句を口ずさんでいるうちに、「なんだ、このままでいいじゃないか」と思えてきた。「添ふ・・添へ」の反復がリフレイン効果というか、却って心地よく響いて来るのだ。動詞の重なりも不思議に気にならなくなる。作者は「意図してやったことです」と胸を張ってしまった方が良かったんだなあと笑いがこみ上げてきた。
(水 22.10.21.)