穭田や米粉のパンの試食会    須藤 光迷

穭田や米粉のパンの試食会    須藤 光迷 『この一句』  番町喜楽会の10月例会で高点を得た句だが、切れ字の「や」の解釈をめぐって議論を呼んだ。穭(ひつじ)は稲の切株に伸びてくる細い茎のことで、穭が出た田んぼを穭田(ひつじだ)と呼ぶ。点を入れた人の半数は「JAかなにかの主催で、商品開発の一環として、穭田で米粉のパンの試食会をしている」(而云)といった光景を思い浮べたようだ。「穭田で試食会をやっているのなら、やで切らずに、『穭田に』とした方がいい」(水牛)との指摘もあった。  これに対し「この句は、やで切れている取合せの句で、別に穭田で試食会をやっている訳ではない」(百子)との反論があった。評者も含め、残りの人は「や」で切れていると見た。  米粉は米を細かく砕いて粉状にしたもの。昔から白玉粉や上新粉など和菓子の原材料に使われてきた。近年は米の消費拡大のために、パンやクッキー、麺などに加工するレシピや食べ方が注目されている。米粉のパンの試食会は、コメの消費量が減る一方の日本農業の苦しい現実でもある。  稲刈りが終わった後のうす緑色の穭田は、本来は瑞穂の国の豊かな実りを示すものだ。ところがコメは売れ残り、在庫が増えるばかり。その一方で、小麦はウクライナ問題もあって世界的に不足している。「意外な二物を取り合わせることによって、新たな世界を示す」という取り合わせの句と言うよりも、関連性のある組み合わせの句といえる。作者は取材経験が豊富で、社会を鋭く切り取った句も多い。穭田を見て、今の農業…

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穭田や鷺悠然と舞ひ降りる    堤 てる夫

穭田や鷺悠然と舞ひ降りる    堤 てる夫 「この一句」  稲刈りが済んで苅田が遥か向こうまで広がっている。なんにも無くなってしまった広がりに、うっすらと緑が芽生えて来た。稲の切株から生えてきた若芽、穭(ひつじ)である。  薄ら寒い風の渡る田の面が一面薄緑になって、まるで春に返ったような錯覚を覚える。しかし、日に日に寒さはつのり、穭はどれほど伸びようとも空しく枯れるばかり。穭田は暮れゆく秋のうら寂しい景色である。  だがそういう感傷は人間だけのもの。動物たちにとっての穭田は冬に備え体力をつけるための餌の漁り場なのである。雑草は最後の一花を咲かせ種をつけて、翌春早々芽を生やすように種を飛び散らす。それを虫たちが漁る。野鳥は落ち穂や雑草の種とともに集まった虫をせっせとつつく。穴籠りを前にした蛙たちも盛んに虫を捕まえる。用水路にはもう水はあまり無いが、少し残った水たまりには魚たちが最後の一稼ぎと泳ぎ回る。  それらを狙って鷺がやって来た。鷺は悠然と舞降りる。同じく高空を舞う鳶が獲物を見つけるや一直線に急降下して来るのとは対象的だ。ゆったりと降り立つと、あたりをゆっくり見回し、獲物があれば近寄ってぱくりとやる。見つからなくても風景の一部になったようにじっと佇んで、不用意なカエルやトカゲが寄って来たりすると長いクチバシを伸ばしてひょいと捕まえてしまう。晩秋の広漠たる田園に鮮やかに浮き立つ一点景を見事に描いた句である。 (水 22.10.19.)

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続柄は「未届の妻」秋入梅    高井 百子

続柄は「未届の妻」秋入梅    高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 光迷 「未届の妻」がいい。ひょっとしたら「無届」なのかもしれない。 春陽子 己のことをきちんと詠むのも大切なことです。 木葉 不謹慎かもしれないが、面白い句ですね。「入梅」には梅雨が長く続くというイメージがあり、読みは同じ「あきついり」だけど、「秋黴雨」の方が良いのではと思いました。 而雲 未届の妻を括弧でくくるのはどうなんでしょうか。 水牛 私は括弧のある句は絶対採りません(笑)。 百子(作者) 「未届の妻」とは私のことです。法律用語なのであえて括弧でくくりました。健康保険の窓口で「続柄は?」と聞かれ、説明したら「それなら未届の妻ですね」と言われました。           *       *       *  「内縁の妻」や「未婚の母」は聞き慣れている。だが「未届の妻」は初めてだった。しかもそれが法律用語とは…。最近では「LGBT」もある。それだけ社会が多様化したのだろう。「括弧のある句」で知られたものには鈴木六林男の、遺品あり岩波文庫「阿部一族」がある。俳句も時代を反映するものとすれば、記号・ローマ字…いろいろあってもいいのではないか。 (光 22.10.18.)

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慕われてこその国葬そぞろ寒   杉山 三薬

慕われてこその国葬そぞろ寒   杉山 三薬 『この一句』  2022年9月、日本と英国で相次いで「国葬」が執り行われた。世界中から人気のエリザベス女王と、「なんであの人が国葬」と国民の7割方が首を傾げる中で強行された安倍元首相。  この句は日本の変な国葬を「そぞろ寒」の季語で詠んだ句だが、「慕われてこその国葬」でエリザベス女王の国葬にも思いを馳せる、とても上手い詠み方をしている。句会ではあまり点が入らなかったが、「慕われてこその」という叙述が少々理屈っぽく感じられるせいであろうか。しかし、令和4年9月に奇しくも重なった、あまりにも懸隔甚だしい国葬を詠んだ時事句として、改めて記憶に留める句だと思い、ここに取り上げた。  「国葬」を広辞苑で引くと、「国家の大典として国費で行う葬儀」とある。大典とは重要な儀式。つまり、日本国にとって掛け替えのない人物を葬送する儀式ということになる。アベシンゾーという人が果たしてそういう人物であったかどうか。国民の大多数は「否」と答えるだろう。岸田首相は国葬を決めた理由を理路整然と説明することが出来ないまま、ただ「日本の憲政史上最長期間、総理大臣の座にあった」ことを述べたに過ぎない。たまたま取って代わる対抗馬が居なかったが故に長期間首相の椅子に座っていただけなのに、それを国葬の唯一の理由にせざるを得ないのが、まさに「そぞろ寒」ではないか。  そういった国民大多数のもやもやを、この句はすいと詠んでいる。 (水 22.10.17.)

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姥捨の田ごとの穭うすみどり   嵐田 双歩

姥捨の田ごとの穭うすみどり   嵐田 双歩 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 秋に四国や九州に行って、薄緑の綺麗な穭田(ひつじだ)を見たことがあります。きっと姥捨(うばすて)の田んぼも同じような光景だろうと思いいただきました。 光迷 あちこちの棚田を見に行きましたが、姥捨の棚田の緑もきっと美しいのだろうと思います。 水馬 格好よくて、すごく上手な句です。           *       *       *  舞台を信州姥捨の棚田にもってきた。知る人には鮮明な景がまず浮かぶ。「穭田」の季語は都会に住む人にはイメージしにくいと思う。青々とした稲田、稔った黄金の稲穂は視覚的に綺麗で句想も湧きやすそうだ。反対に水を張ったばかりの春の田や、刈り取りを終えたばかりの田はあまり見栄えするものではない。そこで作者は穭田に残る生命力に注目した。  刈り入れが終わった後に、またぽちぽちと新芽が出て来るのが穭(ひつじ)。それはたしかに「うすみどり」で、放っておけば芽が伸び切って田一面が薄緑に変貌することもある。この句はどの段階を詠んだのだろうか。筆者は「ぽちぽち新芽」の段階と解釈したい。そのほうが田一面が薄緑になるより、穭の健気さと時間軸の広がりを感じるからである。この句は「姥捨」と「うすみどり」が相乗効果を生んで、「すごく上手」と言わせる句に仕上がったのだと思う。 (葉 22.10.16.)

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スペインのおこげ愉しむ秋灯下  徳永 木葉

スペインのおこげ愉しむ秋灯下  徳永 木葉 『この一句』  9月半ば、句友打ち揃って等々力渓谷と九品仏浄真寺を吟行した時の作品。 吟行と言うと打上げは概ね蕎麦屋か和風酒場に落着くのだが、今回は一行中の光迷さんが自由が丘の知る人ぞ知るスペイン料理屋「エル・ペスカドール」に案内してくれた。特産の生ハムやソーセージはもとより、茄子の唐揚げにハチミツをかけたものなど珍しい料理が次々に出て、締めは名物の魚介パエージャ。  スペインワインにスペインビール。ことに「スペインビールはグラスを使わず壜から直飲みするんです」と言われて、おしとやかな三代さんは目をシロクロさせながら飲んで、むせて、一同喝采。愉快な打上げとなった。  日本では普通「パエリヤ」という南欧の炊込御飯をこの店では現地発音か「パエージャ」という。分厚い鉄鍋に米とエビやカニ、貝などをどっさり入れて、スパイスを混ぜ込み炊いたもの。おこげを作る炊き方が秘伝らしい。これを鍋奉行の愉里さんががりがり引っ掻いて皆に分配する。とても美味しいし、愉しい。そのせいか、吟行句会では参加11人中6人がこのおこげ御飯を詠んで出句した。  「スペインのおこげ愉しむ」と、なんの小細工も無く、すっと詠んだところがこの南欧風小料理屋でのにぎやかな打上げ会の雰囲気をよく伝えている。 (水 22.10.14.)

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金婚や何事もなく竹の春     植村 方円

金婚や何事もなく竹の春     植村 方円 『季のことば』  選句表を見て「この句を選ぼう」と最初に決めた。私もこの春、金婚だった。その夜は家内と二人だけの夕食に息子二人が来てくれただけのこと。お祝いなどは不要である。ともかくここまで無事に、と自らを褒めることで十分なのだ。半世紀越えて来て、の感慨はあるものの、無事に歩み続け、夫婦がともに、とりあえず健康であれば、言うことはない。  この句は更に「竹の春」という季語によって厚みを増した。竹の落葉期が「春」であることは春の季語「竹の秋」によって知られ、それと対照的なのが秋の季語「竹の春」なのだ。この季節の竹は、周囲の紅葉、黄葉と対照的に緑を増し、繁茂の季節を迎える。この時期の金婚を祝し、称える季語として「竹の春」に勝るものがあるとは思えない。  しかし私の思いに反して、この句を選んだ人は少なかった。「分かっていないなぁ」と私は心の中でつぶやいていたが、調べてみたら結婚記念日は一年目の紙婚式に始まり、ほぼ毎年と言えるほどに続いているらしい。金婚式の後も五十五年目のエメラルド婚,六十年目のダイヤモンド婚もある。そうか、まだ先があるのだ――。喜んではいられない。 (恂 22.10.13.)

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竿売りの絶えて久しき竹の春    篠田 朗

竿売りの絶えて久しき竹の春    篠田 朗 『合評会から』(日経俳句会) 鷹洋 これはね、昔のあれですよ。「竿や~サオダケ~」って、売りに来てた。その昔の事を思い出して、懐かしさで頂きました。 三薬 一緒です。「竿や~」を思い出して、採りました。 実千代 私の記憶のなかに微かに息づいている光景です。 十三妹 竹竿だけでなく、プラスチックの竿売りの声もなし。スピーカーの騒音は嫌ですが、無ければ淋しい。           *       *       *  昭和40年代初めまでは真竹の物干竿を担いで、節をつけた売り声を上げながら竿竹売りが流していた。それが40年代末頃には十三妹さんの言うように、小型トラックに積んで低速で走りながら、拡声器で売り声を振りまくようになり、竿竹も本物の竹ではなく、プラスチックやスチールパイプに変わった。  そして最近は竿竹売りトラックがばったり姿を見せなくなった。竿売の中に悪いのが居て、「一本千円〜、古竿を引き取りまーす」と拡声器で客を釣り、声を掛けられると3本固めて運び込み、古竿をさっさと車に積んでしまい、3千円プラス廃棄処分臂7千円の合計Ⅰ万円を要求したりする。消費者センターに苦情が殺到、取締が始まったせいだとも言われている。一方、洗濯機と乾燥機が進化して屋内干しやバルコニーの夜間干しで十分干せるようになり、竿竹の需要が無くなったという説もある。真相ははっきりしないが、あらゆる「呼び売り」が昔語りになりかけている。 (水 22.10.12.…

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鋸引けば青き粉飛ぶ竹の春    伊藤 健史

鋸引けば青き粉飛ぶ竹の春    伊藤 健史 『季のことば』  「竹の春」、「竹の秋」は字面とは逆に、それぞれ秋と春の季語だ。竹は春に繁殖し、地下茎から出る竹の子に養分を取られ親竹は黄葉し落葉する。秋になって竹の子が成長するころは親竹も元気になって枝葉を青々と茂らせる。青葉若葉の春に竹の葉は衰え「竹の秋」となり、物みな枯れる秋に竹は旺盛に枝葉を広げるので「竹の春」という。ほとんどの歳時記が両方の季語を対比させて解説している。  兼題「竹の春」の選句に際して、筆者は「竹の秋」に置き換えても成立しそうな句は外す、と決めた。実は自分の出した句もどっちとも取れる内容だったのだが……。掲句の「青き粉飛ぶ竹」は若々しい今年竹や元気な親竹が想起され、「竹の春」は動かないと思った。  合評会では、水牛さんが「私はよく竹を切ってましたが、青い粉は飛びません。むしろ黄色です」と異議を唱えた。門松の竹の切り口を思い浮かべると分かると思うが、確かに青竹に鋸を入れると、青いのは表面だけですぐに黄色っぽい屑が出てくる。とはいえ、青を黄に言い換えると「竹の春」のイメージが薄まる。「青竹の匂いを思い出しました」という光迷さんの評のとおり「青っぽい匂いの粉」の意と考えれば、さほど違和感は生じないのではないか。  いずれにしても、「竹の春」、「竹の秋」どちらも、なかなかに挑戦しがいのある季語だ。 (双 22.10.11.)

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大鰯誉められ叩かれつみれ汁  中沢 豆乳

大鰯誉められ叩かれつみれ汁  中沢 豆乳 『合評会から』(日経俳句会) 三薬 鰯の身になってみると、ホントに腹の立つことだろう。「まあ立派な鰯」なんて言われて叩かれてつみれにされて。こういうユーモアのある句が好きで、頂きました。 てる夫 調子よく、面白おかしく作りましたね、っていう事ですよね。 静舟 大振りの魚体を誉められた後は、つみれにするために叩かれる無情!洒落てます。 芳之 言葉の組み合わせとリズムに引き込まれます。           *       *       *  私も鰯が大好きで、つみれを時々作る。シコと呼ばれる真鰯(カタクチイワシ)の小型のが店頭にどさっと出ることがある。ザル一杯200円なんて書いてある。今どき取れたての魚でこんなに安いのは他に無い。これを手開きする。簡単に身が剥がれる。包丁で叩き擂鉢に入れ、おろし生姜と刻み葱と片栗粉を少し入れて摺り混ぜる。これをお玉か大さじでしゃくって、沸騰した鍋にぽとんぽとんと落とす。浮き上がってきたら出来上がり。  熱々を椀に盛って、刻み小ねぎと七味、あれば柚子の皮をちょっぴり載せて、醤油を少々。風邪なぞたちまちすっ飛ぶ。もちろん鍋にしてもいいし、大根、人参、ごぼうと一緒に味噌仕立てのつみれ汁も実に旨い。  この句は大ぶりの親鰯だ。シコと違ってかなり脂っこく、少しくどい感じもある。しかし、旨味は十分だから、この方を好む向きも多い。ともあれ、寒くなるこれからが「つみれ汁」の季節である。 (水 22.10.10.)…

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