人住まぬ里を覆ひて竹の春    岩田 三代

人住まぬ里を覆ひて竹の春    岩田 三代 『この一句』  竹の春とは、これまた俳句独特の表現で秋の季語である。禅問答ではないが秋なのに春とは?竹の生態を知る人は当然知っている。竹林の近くに住む人も竹の季節の移り変わりを肌で感じている。早春に生命力のかたまりのような筍を地面に生やし、その分養分を失った竹は黄ばみ、枯れたような状態になる。これを「竹の秋」と言い春の季語になる。秋になると竿も葉も青々としてきて「竹の春」と詠む。俳句を多少でもかじった人は、これらを常識として句を作る。  掲句である。「人住まぬ里」という措辞には、過疎地の限界集落の終の果てということだろうと思う句友が少なくなかった。それにしても里というからには、かなり広い地域や集落を竹藪が覆っていると解釈してしまう。ちょっと大げさかなとの意見も出た。無住になった家一、二軒くらいなら分かるがという言い分だったが。  筆者は、福島の原発事故で全員避難、立ち入り禁止地区になった町を句にしたことがある。「人住めぬ地を棄てし子や七五三」という凡句であるが、その連想からこれは福島の今を詠んだのではないかと思い一票を入れた。テレビがときどき報道する原発近隣町村の光景とみたのである。作者はこの日句会に欠席したので確かめることが出来なかったが、そう解釈すれば写生句として時事句として佳句と思えるのである。果たして福島か限界集落か、作者に訊くのは止めておこう。 (葉 22.09.28.)

続きを読む