九月蝉少し息つぎ短くて 澤井 二堂
九月蝉少し息つぎ短くて 澤井 二堂
『この一句』
番町喜楽会の兼題「九月」に応じて出された句である。歳時記を見ると、「秋の蝉」あるいは「秋蝉(しゅうせん)」、「残る蝉」といった季語はあるが、「九月蝉」はない。作者の造語と思われるが、秋の蝉でも句として十分成り立つところを、あえて「九月蝉」としたところに作者の思いが込められているように感じた。
蝉は日本に30種ほどが生息しているが、よく目にするのは5、6種である。大半は夏に羽化し一生を終える。俗に羽化から1週間で死ぬといわれるが、最近の研究によると寿命は2、3週間で、中には1か月近く生きる蝉もいるという。それでも夏の初めに地上に現れ、秋の訪れとともに姿を消すことに変わりはない。9月に入ると鳴いている蝉の種類も数もぐっと少なくなる。
作者の住まいは上野の森にほど近い。7月、8月には喧しいほど鳴いていた蝉も、9月の声を聞くとともに減り、森に静けさが戻ってくる。騒がしいアブラゼミやクマゼミは既に生を終え、時折聞こえるのは生き残ったミンミンゼミかツクツクボウシであろう。
作者にはその声が、あまり息つぎをせずに、せわしく鳴いているように聞こえるのである。残る命を惜しむかのように鳴く蝉を「九月蝉」と呼び、作者自身の余生を重ねているのではなかろうか。「息つぎ短くて」という措辞にしみじみとした感慨がにじむ。
(迷 22.09.25.)