胃カメラを終えてあおぎし鰯雲  須藤 光迷

胃カメラを終えてあおぎし鰯雲  須藤 光迷 『この一句』  胃カメラ、嫌なものの代表である。好きだと言う人はまさかいないだろうが。今は鼻から通す細い撮像チューブもあるらしいが、喉から食道を貫く胃カメラと聞くとぞっとする。筆者は現在に至るまで胃カメラを呑んだ経験がない。なにしろバリュウムを飲むことさえ受け付けないほどの神経過敏症だ。だから人間ドックに行ったことがない。掛かり付けのクリニックで二、三カ月に一度血液検査をして、各種数値をチェックするばかりだ。「手遅れ」という言葉はつねに頭にあるものの、持って生まれた気質はどうしようもない。どうでもいい私事はこの辺でやめておこう。  この句の作者は筆者と同期の入社で同じ職場に配属された。その後の進路は異なるが、俳句会を通じ句友として句会、吟行、連句の座で付き合いが続いている。七十半ばを越えた同期の仲間たちは当然だが一様に持病がある。コロナ禍の今、同期会の開催もなかなかできず二年三年と延び延びになっている。一病を抱える作者は定期的に検診を受けているものと見受ける。鼻からか喉からかは分からないが、やっと胃カメラの苦しい診察が終わった。会計を済ませ病院の外に出るとほっとしたことだろう。空を見上げると折から「鰯雲」。  鰯雲というのはなぜか物悲しい雰囲気がある。小さく分かれた雲の切れ切れが、まとまった考えを拒むような感じがするのだろう。とにかくこの句は鰯雲が役割を果たしている。診断結果も鰯雲が知っていると言っているようだ。 (葉 22.09.20…

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