新蕎麦を神と分け合ふ御師の宿 中村 迷哲
新蕎麦を神と分け合ふ御師の宿 中村 迷哲
『この一句』
御師の宿に泊まったことがないので、詠まれていることが具体的にどのようなことなのか定かには知らない。だが、神と食事を分け合うというのは、慣れ親しんでいることのような気がし、ましてや、御師の宿であればさもありなんと思い採った句である。
神様に上げる供物は「神饌」と呼ばれ、それを下げてきて食べることは「神人共食」と呼びならわされて来た。いちばん典型的な行事としては、天皇の即位の時の「大嘗祭」、毎年の収穫の後の「新嘗祭」がある。もっとも八十年前までは、この国では天皇も神とされていたのだから、「神人共食」の例として適当かどうか疑問も残る。いちばん卑近な例では、われわれが七福神吟行をした後の飲み会を「直会」と称することがあるが、あれもその一例だろう。また、我が家で仏壇に上げたご飯を食べるのは、筆者の毎日の役割である。神と仏では少し話が違うようだが、もともとは神仏習合、「神人共食」と同根の習俗だと思っている。
作者によれば、ご自身が大山の御師の宿に泊まられた経験と、戸隠に泊まられた時、蕎麦屋がずらりと並んでいた経験を合体して詠まれた句だという。山里の秋の収穫である「新蕎麦」と「御師の宿」が取合わされ、「神と分け合ふ」の中七が取り持つ、心憎いばかりの配合の句である。
(可 22.09.19.)