鉄線と防犯カメラ葡萄園     高井 百子

鉄線と防犯カメラ葡萄園     高井 百子 『この一句』  葡萄や桃などの果実の盗難被害が全国で相次いでいる。丹精して育て、やっと収穫という直前のタイミングでごっそり持って行かれるという。果物も野菜も収穫までに農家は多大な労力をかけている。例えば葡萄の場合、余分な房を間引く「摘房」、粒を間引く「摘粒」、病害虫から保護する「袋かけ」などなど、実に多くの手間と時間がかかっている。盗まれた農家のダメージ、落胆ぶりは想像を絶する。  近年特に目立つようになった果物盗の背景には、高級ブランド化による商品価値の高騰があるという。一房一万円もするようなシャインマスカットを盗み、ネットや路上で売り捌く輩。仲間内で分け合って食べたという外国人、など犯人像はさまざまだ。先日、盗難を防ぐため山梨市の葡萄畑で、特殊カメラを載せたドローンを上空に飛ばして、パトロールする訓練が行われた、とNHKのニュースが報じていたが、全国の果樹農家は収穫時期になると防犯に頭を悩ませている。  掲句の作者は、長野県上田に居を構え、ほぼ毎日、豊かな自然の中を散歩している。この時期、シャインマスカットや巨峰などの葡萄棚も身近に見ているようで、鋭い観察眼が生きた句だ。健康のため、散歩に付き合っているという夫のてる夫さんによると、「有刺鉄線には電気を通していて、通路側にはネットが張ってある」そうだ。 (双 22.09.07.)

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水風呂に西瓜も子らも冷やしけり 谷川 水馬

水風呂に西瓜も子らも冷やしけり 谷川 水馬 『この一句』  昭和の原風景である。大型の冷蔵庫が各家庭に普及した現在では、風呂桶に西瓜を入れて冷やすなどあり得ない、考えられないと若い世代は思うだろう。昔はそんなことをしたのである。自動洗濯機、炊飯器、電気冷蔵庫のいわゆる「三種の神器」が常識になるまでは、西瓜を冷やすのは氷塊が入った木製冷蔵庫であった。電気冷蔵庫はあったことはあったが、外国製の大変高価なもので庶民に手が届くものではなかった。それでも丸ごと入るほどの収容力がないから、半分や四半分にして冷蔵庫に収めた。今では西瓜を冷水で冷やすのは、深井戸を持つ地方の旧家か、山から流れる湧き水の恩恵を受ける限られた地域のみであろう。  この句の作者の幼少時には、水を張った風呂に西瓜を冷やしたということになる。暑い盛りのことゆえ、子供たちもその水風呂に飛び込んだ景とみた。久々に二ケタの得点が出た今月の俳句会で「天」の句。「昔はこうだった、懐かしい」「友達の家で西瓜といっしょに風呂に入った」「野菜も子供も一緒くただった」など、共感する声が大方である。そんな記憶のオンパレードの反面、「ありそうだが、どうも眉つばの句」だと異議を申し立てる句友がいた。「子供を冷やすなんてことはしない」というのが論拠。  しかし二ケタ得点句の〝威光〟が異論を跳ね返す。長老の「私もよくやりました。よくこんなことを思い出したな」との声が場を片付けた。とまれ年齢層の高い句会ならではの一句だ。ただ、水風呂とあるから「冷やしけり…

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新涼や訪ふ人の顔やさし   山口斗詩子

新涼や訪ふ人の顔やさし   山口斗詩子 『季のことば』  「訪ふ(おとなふ)」というのだから、作者が訪ねて行った先の人だろうと思うのだが、訪ねて来た人ということも考えられる。しかし、それは深く詮索せずともよかろう。とにかく久しぶりに会った相手の表情がやさしくてほっとしたのだ。これも新涼のおかげなのだろうと安堵している。この時期の情景がよく浮かぶ佳句である。問題は「新涼」という季語についてである。この句は何月何日頃を詠んだものなのかと考えたら、分からなくなってしまった。  「新涼」は初秋の季語。俳句で「秋」は8,9,10月、それぞれ初秋、仲秋、晩秋とされている。すなわち「新涼」とは、暦が秋に変わり改めて感じる涼しさを云い「8月の季語」となる。しかし、8月と言えばむやみに暑い。夏の絶頂であり、「秋涼し」なんぞと乙にすましてはいられない。  ところが俳句は虚構の世界に遊ぶところがあるから、季節を先取りして知的ゲームを楽しむことがある。暑いを涼しいと言う、洒落や粋の世界である。  さはさりながら現実世界との折り合いをつけねばならぬこともある。実際に、秋なのにこのクソ暑さと毒づくこともあれば、暑さの中の涼しさということもあるからである。こうしたことを考えると、季語には使用時期が定められてはいるものの、そこにはある程度の幅が認められても良さそうだ。「この季語は何日から何日まで」などと杓子定規でなしに、「その頃に見合った趣」を尊重して使用期間の伸縮を認めるのだ。「季感の尊重」と言ってもいい。こ…

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八月や既往症また一つ増え    嵐田 双歩

八月や既往症また一つ増え    嵐田 双歩 『この一句』  この句は作者自身にとっても、我らが俳句会にとっても、「記念すべき一句」である。なんと、この作者がコロナに感染してしまったのである。  感染経路は不明らしい。私のように不摂生の極み、どこへでも出かける、年甲斐もなく暴飲暴食の無茶苦茶と違って、この人は非常に真面目でコロナ対策も十分に行っていたのに、どういうわけかかかってしまった。幸い熱はすぐに下り、「隔離」は二日で済んだというから軽症だった。自宅待機期間も過ぎて無罪放免となったのだが、「まだ時折咳が出るので、皆さん気持悪いでしょうから」と句会を休むことになり、大ぴらになった。  句会で世話役からこの大ニュースが発表されると、「へー」とか「わっ」とか「記念すべき第一号」などと声が上がった。もうそこには二年半前の始まりの時のような、「恐い」という感じは全く無い。未だに新規感染者が日本全国で一日20数万人も出ているというのだが、「慣れっこ」になってしまったのだ。何しろソーリダイジンまでが感染しちゃったのだからマンガである。  しかし、このCOVIDなんとかというウイルス病は法律に定められた伝染病だから、かかった人は今後、医療関連の書類の「既往症欄」に記入する必要があるのだろう。  「既往症コロナ、なんてカッコイイな」と、「馬鹿は風邪も引かぬ」と言われている身にはちょっぴり羨ましいような気もするのである。 (水 22.09.04.)

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秋涼し将門塚にヒール音      廣田 可升

秋涼し将門塚にヒール音      廣田 可升 『この一句』  意外性に満ちた取り合わせの句である。「秋涼し」は初秋の季語であり、秋になって感じる涼しさをいう。将門塚は怨霊となった平将門の首を供養のために祀った場所で、東京大手町にある。そこにハイヒールの靴音が響く情景を詠んでいる。  この句の評価は将門塚を知っているかどうかで、大きく違ってくる。塚は三井物産などのビル群の谷間に存在する。木立に囲まれた参道の奥に石碑があり、昼なお暗い印象。日本有数のビジネス街の一角とは思えない不思議な霊気を感じるスポットである。  そうした知識をもとにこの句を眺めると、意外な取り合わせが、うまく響き合ってくる。猛暑と夏休みで人通りがまばらだった大手町に、秋の訪れとともに働き手が戻り、将門塚の周辺も往来が活発になった。初秋の冷気の中を颯爽と歩むキャリアウーマン。その硬いヒール音が霊気漂う将門塚に木霊する。大都会の片隅の秋を、音で鮮やかに切り取った句といえる。  固有名詞を句に使うと、その風景や歴史、風土がたちどころに想起され、大きな効果を上げることがある。芭蕉でいえば象潟や最上川の句が好例だ。その固有名詞がどの程度知られているかが効果を左右する。句会では将門塚を知る人が多く、高点を得た。しかしよく知らない人にとっては、やや判じ物めいた句に見えたかもしれない。 (迷 22.09.02.)

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逝きし友残る友あり夜の秋    河村 有弘

逝きし友残る友あり夜の秋    河村 有弘 『季のことば』  「夜の秋」というのは俳句独特の言い回しで、まだまだ暑さが残ってはいるが、夜になるとふと秋を感じるという晩夏の季語である。七月末から八月に入って早々、立秋直前の頃の夜分をいう、ごく短期間にしか通用しない季語である。大昔の和歌の時代は「秋の夜」と同義で用いられていたのが、いつの間にか夏の夜に感じる秋をいう季語になったという。  俳句の約束事をきっちり守ろうとすれば、この季語は非常に詠み難い。しかし、立秋を過ぎてもしばらくは使ってもいいのではなかろうか。八月も半ばを過ぎれば、夜間、雨戸を閉めようと窓を開けた時に、ふと秋を感じることがある。その辺まで句作のカレンダーを広げて、この素敵な季語を使ってもいいだろう。  八十路を越えると、これは仕方のないことなのだが、友人知己が次々に亡くなって行く。毎朝、真っ先に見るのが新聞の訃報欄というのが半ばくせにもなっている。あああの人も死んでしまったか、と、現役時代仕事の関係で付き合いのあった人のことを思い出す。時には近頃連絡の途絶えていた昔の仲間の訃報をメールで知らせてもらったりもする。「同期入社も半分以上居なくなってしまった」などとつぶやいている。そしてまだ生き残っている共通の友人にメールする。  というわけで、「逝きし友」との楽しかった思い出を「残る友」と語り合うことがしきりの今日このごろである。まさにこの句は「夜の秋」という季語の響き合いが絶妙である。 (水 22.09.01.)

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