新蕎麦を神と分け合ふ御師の宿  中村 迷哲

新蕎麦を神と分け合ふ御師の宿  中村 迷哲 『この一句』  御師の宿に泊まったことがないので、詠まれていることが具体的にどのようなことなのか定かには知らない。だが、神と食事を分け合うというのは、慣れ親しんでいることのような気がし、ましてや、御師の宿であればさもありなんと思い採った句である。  神様に上げる供物は「神饌」と呼ばれ、それを下げてきて食べることは「神人共食」と呼びならわされて来た。いちばん典型的な行事としては、天皇の即位の時の「大嘗祭」、毎年の収穫の後の「新嘗祭」がある。もっとも八十年前までは、この国では天皇も神とされていたのだから、「神人共食」の例として適当かどうか疑問も残る。いちばん卑近な例では、われわれが七福神吟行をした後の飲み会を「直会」と称することがあるが、あれもその一例だろう。また、我が家で仏壇に上げたご飯を食べるのは、筆者の毎日の役割である。神と仏では少し話が違うようだが、もともとは神仏習合、「神人共食」と同根の習俗だと思っている。  作者によれば、ご自身が大山の御師の宿に泊まられた経験と、戸隠に泊まられた時、蕎麦屋がずらりと並んでいた経験を合体して詠まれた句だという。山里の秋の収穫である「新蕎麦」と「御師の宿」が取合わされ、「神と分け合ふ」の中七が取り持つ、心憎いばかりの配合の句である。 (可 22.09.19.)

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焼き味噌と一合で待つ走り蕎麦  星川 水兎

焼き味噌と一合で待つ走り蕎麦  星川 水兎 『季のことば』  新蕎麦とは俳句の世界では、その年の秋に初めて出回る蕎麦をさす。「秋蕎麦」あるいは「走り蕎麦」ともいい、仲秋から晩秋の季語である。水牛歳時記によれば、蕎麦はふつう初夏に種を蒔き11月に入ってから収穫する。だから「蕎麦の花」は秋の季語で、「蕎麦刈」や「蕎麦干す」は冬の季語である。ところが初物好きの江戸っ子が、新蕎麦を待ちわびたため、栽培時期や乾燥方法を工夫して9月、10月に蕎麦屋で供するようになったという。ほかの季語とずれて「新蕎麦」が秋の季語となった所以である。  掲句は秋が深まり、蕎麦屋の一角で新蕎麦を待つ人物を、季節感豊かに詠んでいる。卓上には一合徳利と猪口、それにしゃもじに盛った焼き味噌がある。「一合で待つ」が絶妙な表現で、酒は少量にとどめ、新蕎麦が茹で上がるのを待ちかねていることが分かる。これが二合、三合では蕎麦が伸びてしまう。下五に「走り蕎麦」を置くことによって、青みの残る香り高い新蕎麦のイメージと余韻が広がる。酒好き、蕎麦好きの多い番町喜楽会で最高点を得たのもうなずける。  同じ句会の兼題句に「酒かけて食べる志ん生走り蕎麦」があった。落語家の古今亭志ん生は酒が大好きで、蕎麦屋で飲んだ時は猪口に残った酒を伸びた蕎麦にかけて食べたという逸話を詠んだものだろう。実はこの句の作者も水兎さん。新蕎麦を詠んだ二句とも酒が蕎麦を引き立てている。酒好きの作者の面目躍如である。 (迷 22.09.18.)

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日時計の影に気付きし九月かな  今泉 而云

日時計の影に気付きし九月かな  今泉 而云 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 いいところに目を付けましたね。確かに九月は影が伸びてきますよね。そんなところに気が付いたところがすごいなぁと思いました。 双歩 少し涼しくなった九月は、日時計に目をやる余裕が出て来たのでしょう。九月らしい句です。 愉里 八月より、影がやわらいで見えたのでしょうね。そんなところに惹かれました。 迷哲 九月は、残暑がぶり返したり安定しない日が続くものですが、この人は陽が傾くことに秋を発見したのですね。その気づきを評価しました。 光迷 やっと九月になって朝顔が咲き、散歩にも少しずつ出られるようになりました。作者もどこかの日時計に秋を発見したのでしょう。           *       *       *  名句には発見がある。ある俳人は「俳句に盛り込む発見とは、珍しい事柄ではなく、むしろ、見慣れ聞き慣れているものが示す新鮮な断面の発見である」という。掲句も正にそうだ。真夏は太陽が真上にあり、日時計の影も短く気にも留めなかったが、九月に入って、ふと影の存在に気付いた、という繊細な感覚がもたらした発見が魅力的。  付け加えれば、「○○を発見した」とか「○○に気づいた」などと詠むことは少なく、発見内容を具体的な描写など別の表現で示すことが多いと思うが、「影そのものに気付いた」とストレートに詠んだ例は少ないのではないか。そういう意味でも記憶に残る一句だ。 (双 22.09.16.)

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石磨き石に磨かれ秋の水    玉田 春陽子

石磨き石に磨かれ秋の水    玉田 春陽子 『合評会から』(酔吟会) 双歩 こういうレトリックの俳句は多いとは思うのですが、石が水に磨かれていると感じる作者の感性。「うまい句」です。 青水 確かに、うまいですね。それと「秋の水」という季語へ持っていく措辞の技巧的で上手な描写に、気持が動きました。 てる夫 湧水が山の水路を通るうちに「磨き磨かれ」というのですね。どういう水路を通るかによって磨かれ方が違うのでしょう。 反平 澄み切った秋の空の爽やかさと、水の透明さが浮かびます。           *       *       *  季節は違うけれど、「石走る垂水の上のさわらびの・・・」の歌を思い出した。「石に磨かれる水」というのがいい。磨かれ方によって軟度も味も変わってくるのだろう。合評会では「むしろ冬の尖った感じがする」「いや、夏じゃないのか、強い流れの」という感想もあったが、石に磨かれる水は一も二もなく「秋」の清流である。  それよりもどきりとしたのは「僕はなんだか教訓的な句だと思うのですよ」(而云)という意見だった。実は私もこの句を選びながら、切磋琢磨とか金剛石も磨かずばとか、あれこれの教訓句が脳裏を過ぎった。しかし、この勢いのいい詠み方に惹かれて採った。「俳句は気合」というところもある。 (水 22.09.15.)

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蕎麦の花峠越えれば青木村    堤 てる夫

蕎麦の花峠越えれば青木村    堤 てる夫 『季のことば』  筆者などはついあれもこれもと対象を詠んでしまい、いつも後悔する句を作ってしまう。この句はリズムよく、流れるように口調がいい。冒頭に季語に持ってきた「蕎麦の花」が生きている。ほかの季語でもよさそうだが、蕎麦の花の持つ可憐さ清潔さにまさるものはないと思える。信州塩田平に住む作者は地元の自然を詠み、また近辺の花鳥諷詠もお得意のものである。  この句には句友の追憶を誘う地名が入っている。もちろん青木村である。ちょっと青木村を紹介する。人口4000人強の小さな村であるが、「見返りの塔」で名高い国宝大法寺の三重塔がある。「義民の里」と呼ばれるほど江戸から明治にかけて一揆が五度もあった。また東急の五島慶太の生まれ故郷としても知られる。その青木村に六年前、句友十数人が田沢温泉に泊まって蛍狩りした。作者夫妻の手配りによる吟行であった。青木村と聞けばその想い出がよみがえり、周辺の風景とともに懐かしさがこみあげる。  有名、無名にしろ地名を織り込む句は成否が分かれると常々思っている。陳腐になるか読む人に響かないか、どちらかになる恐れが多分にある。この句の場合「峠越えれば」と言って、青木村をまったく知らない人さえほどよく興味を抱くだろう。季語蕎麦の花との絶妙の組み合わせが、青木村はきっと素晴らしい所に違いないと思わせる。句友たちの追憶に頼んだ句とばかりとは言えない、ご当地に住む爽やかな詠み方である。 (葉 22.09.14.)

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秋暑し僕的にはなどと云ふ力士  大澤 水牛

秋暑し僕的にはなどと云ふ力士  大澤 水牛 『この一句』  「僕的には」と語る力士を微笑ましいと捉えた句とも、近頃流行りの物言いを批判する句とも、どちらにもとれる句であるが、「秋暑し」の季語と句会の顔ぶれから想像すれば後者だろうという気がした。  「僕的には」という物言いには筆者も抵抗を感じるが、こういう言葉がいつのまにか定着する可能性もないとは言えない。例えば、最近のことでいえば、いちばん嫌いな「~なります」という言葉は街中に氾濫していて、すでに定着してしまった感がある。「こちらスパゲティになります」と皿を出された日には食欲が急に減退し、食べずに逃げ出したくなってしまう。  作者は句会の中でも言葉の使い方にいちばん厳しい方。この句の自解には、「堂々たる姿と落ち着いた挙措、つい錯覚してしまうのだが、考えてみれば力士は概ね二〇代の青年、まともな受け答えを期待する方が無理なのだが、「僕的には」なんて言われるとがっかりする」とある。批判には違いないが、一方で、結構優しい眼差しも感じられるコメントである。批判というより、揶揄というところだろうか。  句会の後の酒席で、「僕的には」と発言したのは、あの六場所出場停止からようやく幕下にカムバックした元大関らしいと知れた。そうと知ると、相撲好きの爺さんの若い力士への応援の句と読めなくもない。朝乃山頑張れ! 筆者も「僕的には」同感である。 (可 22.09.13.)

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亭主打ち女房はこぶ今年蕎麦   田中 白山

亭主打ち女房はこぶ今年蕎麦   田中 白山 『季のことば』  「今年蕎麦」とは歳時記に見ない季語である。おそらく作者は「今年米」とか「今年酒」などの季語を蕎麦に敷衍したのだろう。「新蕎麦」という九月兼題に対し「走り蕎麦」というただ一つの言い換えに飽き足らなかったのか、今年蕎麦なる新しい季語を考えたのではないか。句友全員が新蕎麦あるいは走り蕎麦として投句しているなか、作者は「今年蕎麦」と一工夫した。俳句に新味を打ち出そうとしたのだと筆者は理解している。  「今年蕎麦」には新蕎麦、走り蕎麦がもつ収穫したてというイメージはやや乏しい。逆に言えば蕎麦の鮮度の長さを感じさせる。この先三カ月程度は今年収穫した蕎麦の新物に違いないのだから。気候が逆の南半球タスマニア島産の蕎麦が、春先から初夏にかけて日本の端境期を補っている。日本産の新蕎麦と風味がどう違うのか、蕎麦通でない身には分からないが、いつも美味しく賞味している。生鮮物はいまや外国産を含めれば年から年中手に入る。とはいえ蕎麦はこれからも国産の初物が珍重されるのだろう。日本人の味覚の原点の一つである。  掲句はごくありふれた情景ではある。町中の小さな蕎麦屋では亭主と女房の二人で切り盛りしているところが多い。亭主が店奥で蕎麦を打ち、茹で、注文の品に仕上げる。かたわら女房は客あしらいしながら出来上がったものを運ぶ。年季の入った夫婦でもよし、店開きしたての若夫婦でもよし、夫婦の息が合った生業がこの句の風景にある。 (葉 22.09.12.)

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朝摘みの葡萄の甘さ甲斐の郷   篠田  朗

朝摘みの葡萄の甘さ甲斐の郷   篠田  朗 『この一句』  知人から甲州の「巨峰」が送られてきた。立派な箱の中に、薄葉紙に包まれた大房がクッションにくるまり寝かされている。まさに箱入り娘である。農園の能書きパンフレットが添えられていて、「朝採り直送」とあり、収穫日が手書きで入っている。前日収穫してすぐ発送したものと分かる。うやうやしく取り出してぶら下げるとずっしり重い。正確な二等辺三角形をしており、上から下まで粒が同じ大きさに揃い、黒く輝く実にはブルーム(果粉)と云うのだそうだが、うっすら白い粉が吹いている。  食べるのがもったいないような気になるが、いつまでそうやってぶら下げているわけにもいかず、水道栓を開けてじゃーっと冷水を浴びせ、クリスタルの大皿に載せて、テーブルに据え、一粒取って皮をむき、口に含んだ。甘い果汁がじゅわっと広がり、寝ぼけ眼がぱっちり開いた。  朝、日の出前に摘んだ葡萄は夜の間にたっぷりと含んだ水分と、溜め込んだ糖分によって、殊の外みずみずしくて美味いのだという。  この句の作者はその逸品の摘み取ったばかりを、なんと現場で食べているのだ。そりゃ美味いだろうなと思う。甲斐の葡萄園はおおむね山裾の扇状地にあり、昼間はめっぽう暑いが朝夕は爽やかだ。秋の風に吹かれながら採りたての宝石のような葡萄を賞味する。淡々とした詠み方だが、至福の秋を心ゆくまで味わっている満足感が伝わって来る。 (水 22.09.11.)

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円空とカミオカンデに秋の風   須藤 光迷

円空とカミオカンデに秋の風   須藤 光迷 『この一句』  江戸時代の仏師・円空と、宇宙の謎を探る最先端装置であるカミオカンデ。8月の日経俳句会に出された句で高点を得たが、この取り合わせに首をひねった選者も多かったのではなかろうか。読み解くキーワードは飛騨である。  円空は美濃国(岐阜県)に生まれ、修験僧として諸国を行脚した。12万体の造像を発願し、一刀彫のいわゆる円空仏を各地に残した。現在5千体ほどが確認されており、愛知県、岐阜県に多い。飛騨高山にも名作とされる千手観音像など500体が残る。  一方のカミオカンデは、宇宙から飛来する素粒子・ニュートリノを観測するため地下深くに建設された巨大な装置。1983年に完成し、超新星爆発に伴うニュートリノの観測に成功、小柴昌俊氏のノーベル賞受賞につながった。その設置場所は飛騨市にある神岡鉱山の地下千メートルである。  作者は旅行好きで知られ、全国各地を巡っている。飛騨にも足を向け、円空仏を拝み、カミオカンデを見学した時の感興を句にしたのであろう。  飛騨にこだわらずとも、句は読み解ける。円空仏は一刀彫の鋭い断面と慈愛に満ちた表情が特徴的だ。貧しい庶民の救済と平安を願い、日々の暮らしを見詰めている。地下深くから宇宙をにらむカミオカンデの視線と円空仏の視線の先に、秋の風が吹く風景を想像すると、心が澄んでくる。作者の本意はこちらかも知れない。 (迷 22.09.09.)

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八月の白き風呼ぶカフェテラス  久保田 操

八月の白き風呼ぶカフェテラス  久保田 操 『季のことば』  「暦」の元の一つともなっている陰陽五行説という古代中国の哲理がある。万物は陰陽の二気と木火土金水の五元素の組み合わせによって生じては又消滅するという考えである。四季の循環もそれに従って起こるもので、春は草木が芽生え、日が昇る東方に配され、色で言えば青(緑)、夏は燃える太陽が主役だから方角は南で色は赤(朱)、冬は冷めたく水の性質を持ち暗黒で北に配され色は黒。これに対して秋は太陽が低くなり凋落の兆しが見え、金の性質を備え、西に配されて色で言えば白とされる。  この句はそうした思想を踏まえているのだろうか。八月も下旬になると、さしも猛威を振るった陽射しもやわらぎ、カフェテラスには時折ふっと涼しい風が吹き通る。「白き風呼ぶ」とはなんとも趣き深い言い方だなあと気を引かれた。それなのに句会で取れなかったのは「やはり八月では少し早すぎるかな」と思ったからである。作者はおそらく八月下旬の午後、陽射しが少し弱まった頃合いにこの感じを掴んだのであろう。芭蕉の有名な「あかあかと日はつれなくも秋の風」にも通じる、細やかな神経である。  さはさりながら、昨今の異常気象下の八月だと、白ではなく「赤い風」じゃないかなどと混ぜ返したくなってしまう。このあたりが「八月」という季語の扱いの難しさである。この句も「秋の午後」と置いた方が無難に受け取られる可能性が高まるかもしれない。 (水 22.09.08.)

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