八月や虫のむくろの澄んだ羽 伊藤 健史
八月や虫のむくろの澄んだ羽 伊藤 健史
『合評会から』(日経俳句会)
愉里 家の裏の蜘蛛の巣を見ていたら、虫を捕食していた。「八月」に合っているのかなと思って。
芳之 意外なほど生き生きとした羽。観察眼が冴えています。
昌魚 虫の死骸を見ての感覚として「澄んだ羽」をとらえたのに驚きました。
明生 蝉の亡骸だと思います。例年に比べ少なくて小ぶり。その羽は澄んでいる、まさにその通り。
守 季節の移ろいを感じる句です。
水牛 この虫は蝉のことでしょう。季重なりを嫌って「虫」としたのだろうが、そこがちょっと気になって採れなかった。ボクは季重なりをあまり気にしない。これも、あえて蝉とした方がすっきりする。
* * *
夏の終わりになると、道端や公園で蝉など虫の死骸をよく目にするようになる。作者は虫の羽が死してなお透き通っていることに気づき、句にした。「澄んだ羽」と言い切った下五に、発見の驚きと夏の生を終えた虫への慰めの気持ちを感じる。
句会ではどんな種類の虫だろうかと話題になった。トンボや蜂も透明な羽を持つが、この季節に身の回りでよく見られる死骸といえば蝉であろう。水牛氏が指摘するように、漠然とした虫ではなく蝉とした方が、対象が明確になり、句に深みが生まれたように思う。それとしても路傍の虫に目をとめ、澄んだ羽に季節の移ろいと命の儚さを感じ取った作者の感性が光る句である。
(迷 22.08.22.)