晩夏光母の背中のお灸跡 星川 水兎
晩夏光母の背中のお灸跡 星川 水兎
『合評会から』(番町喜楽会)
木葉 今どきはお灸をする人がいなくなったようで、これは昔の光景でしょう。この句は季語に「晩夏光」を持って来たことが手柄でしょう。
愉里 夏の終わりの感傷とお母様に対する想いが込められていて、頂きました。私の年代だと祖母の姿に重ねますが、若い人には知らない光景になるのだろうと、切なくなってしまいました。
而云 今はもうこういう光景は見ないように思うのですが、よく考えれば、俳句は昔あったことを詠んでもいいのだなとあらためて思いました。
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背中にお灸跡を残している母親となれば、それはもう八十代後半から九十代のお人に違いない。その背中を優しくさすってあげているのか、お風呂で洗い流しているのかしている孝行娘の作者も定年近辺の年頃と思われる。
老齢のお母さんがしゃきしゃきと働いていた昭和三十年代は、日本はまだ発展途上国であり、少しぐらい熱があろうと、お腹が痛かろうと、買い置きの売薬(渋紙の袋に入った「富山の置薬」というのもあった)を飲んで済ませていた。そして、頼りは「お灸」である。丸めた艾(もぐさ)を肩や背中や腰や脛の「ツボ」に置いて線香で火をつける。だんだんと燃えて行って皮膚に近づくと七転八倒の熱さ。それを歯を食いしばってこらえる。我慢比べのようなものだが、これが不思議に効いた。しかし、皮膚は焼けただれ、ひどいときには膿んだりもして、その痕が瘢痕になった。…