片足は雌に呉れたといぼむしり  谷川 水馬

片足は雌に呉れたといぼむしり  谷川 水馬 『季のことば』  「いぼむしり」はカマキリの異称。これで疣をこすれば無くなるという俗説からこんな妙な名が付いたという。俳句世界では通じるのだろうが、世間一般にはとんと馴染みのない言葉だ。はかない抵抗の意味で「蟷螂の斧」の成句があるほか、ほとんどの俳句では「蟷螂(とうろう、またはかまきり)」と詠んでいる。「いぼむしり」を使った句も散見するが、なぜと考えてみれば五音であるのが理由とも思える。  掲句は蟷螂を使わず、下五に「いぼむしり」と置いたのが何とも効果的だ。試みに「蟷螂は雌に片足呉れたといふ」などと詠んでしまえば、初めから正体がばれ、掲句のような俳味は失われてしまう。最後にどんと「いぼむしり」と登場するから、上五中七が生きたのだとみている。  交尾中に雄を食い殺す蟷螂の生態を詠んでいながら、寓意をはらんだ一句となっている。そうだ、人間社会もそうじゃないかと思い当たるのである。古より男は身を粉にして働き、女房子供を養うのが習い。今じゃこんなことを言うと男女差別主義者の謗りを免れないが。子供たちは親父の脛をかじって成長し人となる。「母親の狂気と男親の財力」という戯れ言葉あるほど、昨今の有名校進学熱と塾の費用に目をむいてしまう。  この句はサラリーマンが居酒屋で同僚と一杯やりながら嘆いている場面を彷彿とさせる。雄の蟷螂の身の上に仮託して、脛一つくらい仕様がないと言っているのだ。 (葉 22.08.18.)

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