晩夏光母の背中のお灸跡     星川 水兎

晩夏光母の背中のお灸跡     星川 水兎 『合評会から』(番町喜楽会) 木葉 今どきはお灸をする人がいなくなったようで、これは昔の光景でしょう。この句は季語に「晩夏光」を持って来たことが手柄でしょう。 愉里 夏の終わりの感傷とお母様に対する想いが込められていて、頂きました。私の年代だと祖母の姿に重ねますが、若い人には知らない光景になるのだろうと、切なくなってしまいました。 而云 今はもうこういう光景は見ないように思うのですが、よく考えれば、俳句は昔あったことを詠んでもいいのだなとあらためて思いました。           *       *       *  背中にお灸跡を残している母親となれば、それはもう八十代後半から九十代のお人に違いない。その背中を優しくさすってあげているのか、お風呂で洗い流しているのかしている孝行娘の作者も定年近辺の年頃と思われる。  老齢のお母さんがしゃきしゃきと働いていた昭和三十年代は、日本はまだ発展途上国であり、少しぐらい熱があろうと、お腹が痛かろうと、買い置きの売薬(渋紙の袋に入った「富山の置薬」というのもあった)を飲んで済ませていた。そして、頼りは「お灸」である。丸めた艾(もぐさ)を肩や背中や腰や脛の「ツボ」に置いて線香で火をつける。だんだんと燃えて行って皮膚に近づくと七転八倒の熱さ。それを歯を食いしばってこらえる。我慢比べのようなものだが、これが不思議に効いた。しかし、皮膚は焼けただれ、ひどいときには膿んだりもして、その痕が瘢痕になった。…

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片足は雌に呉れたといぼむしり  谷川 水馬

片足は雌に呉れたといぼむしり  谷川 水馬 『季のことば』  「いぼむしり」はカマキリの異称。これで疣をこすれば無くなるという俗説からこんな妙な名が付いたという。俳句世界では通じるのだろうが、世間一般にはとんと馴染みのない言葉だ。はかない抵抗の意味で「蟷螂の斧」の成句があるほか、ほとんどの俳句では「蟷螂(とうろう、またはかまきり)」と詠んでいる。「いぼむしり」を使った句も散見するが、なぜと考えてみれば五音であるのが理由とも思える。  掲句は蟷螂を使わず、下五に「いぼむしり」と置いたのが何とも効果的だ。試みに「蟷螂は雌に片足呉れたといふ」などと詠んでしまえば、初めから正体がばれ、掲句のような俳味は失われてしまう。最後にどんと「いぼむしり」と登場するから、上五中七が生きたのだとみている。  交尾中に雄を食い殺す蟷螂の生態を詠んでいながら、寓意をはらんだ一句となっている。そうだ、人間社会もそうじゃないかと思い当たるのである。古より男は身を粉にして働き、女房子供を養うのが習い。今じゃこんなことを言うと男女差別主義者の謗りを免れないが。子供たちは親父の脛をかじって成長し人となる。「母親の狂気と男親の財力」という戯れ言葉あるほど、昨今の有名校進学熱と塾の費用に目をむいてしまう。  この句はサラリーマンが居酒屋で同僚と一杯やりながら嘆いている場面を彷彿とさせる。雄の蟷螂の身の上に仮託して、脛一つくらい仕様がないと言っているのだ。 (葉 22.08.18.)

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猛暑道傘で日陰を持ち歩く    澤井 二堂

猛暑道傘で日陰を持ち歩く    澤井 二堂 『合評会から』(日経俳句会) 雀九 なるほど、と思って、笑ってしまいました!この句の発想は男性、差している日傘は女性。では作者はどちらでしょうか。 健史 独特な把握が詩情を生んだ。 明生 日陰のほとんどない道を日傘で歩いたのでしょう。持ち歩くが面白い。 昌魚 日傘で「日陰を持ち歩く」には脱帽です。素晴らしい。 水馬 面白い。今年は男性も日傘を差しているようです。 定利 日陰を持ち歩くとは上手い。想像すら出来なかった。 迷哲(司会) 点を入れた上記の方々はすべて欠席者です。出席の皆さんにご発言頂かないと合評会が成立しません(笑)。 双歩 「炎天下」なら採った。なんで猛暑道などという言葉を無理やり持ってきたんだろう。 木葉 確かに猛暑道は無理があるね。 反平 詩情が伝わってこないんだよなあ。           *       *       *  実は私も合評会で「『日陰を持ち歩く』とはウイットに富んだ表現だろう、どうだいという作者の手柄顔が見えてしまう」と酷評してしまった。幕末から明治中期にかけての、いわゆる「月並俳句」で、粋人の旦那衆が競い合った「遊び」と「機知」の句である。しかし、現代俳句に失われてしまった、こういう面白味というものは、やはり大事にすべきだなと思い直した。 (水 22.08.17.)

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秋立つや鉄瓶の湯に鉄の味    今泉 而云

秋立つや鉄瓶の湯に鉄の味    今泉 而云 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 ちょっと涼しくなったので、熱いお茶が飲みたくなり、鉄瓶を持ち出した。湧いた湯に鉄の味がした。ただそれだけの事だけれど、味のある俳句になっていると思いました。 迷哲 冷たいものばかり飲んでいた夏が終わり、温かいお茶が欲しい季節になった。味覚にも秋の鋭さが戻った。 而云(作者) 子供の頃のことです。婆さんのところへ行くと湯冷ましを飲まされるのだけど、鉄の味がして、これがまずいんだよねえ(笑)。           *       *       *  鉄瓶のお湯に鉄の味がしたのだと、ただ単にそう取ってはいけないのは当然である。立秋の日を舌で感じ取った俳句と受け止める。夏の間麦茶を鍋で煮出している家庭はいまだに少なくない。煎茶番茶の湯を沸かす鉄瓶を夏の間使わないのは一般的かもしれない。鉄瓶といえば冬の火鉢と一対のものだから。 まだまだ暑いが、久しく放っておいた鉄瓶を取り出して湯を沸かす。鋳物ゆえ中に多少の錆が残っていた。一応洗い流したのだが、使い古した鉄瓶の錆びは容易に取れない。茶を淹れてみたら、ちょっと鉄の味がしたという――。句の背景を筆者はこう取った。作者年少の頃の思い出とは思いが及ばなかった。季語「立秋」に付けるのに「鉄錆びの味」とは渋い。 (葉 22.08.16.)

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内外の鬱を忘れる大夕焼け    堤 てる夫

内外の鬱を忘れる大夕焼け    堤 てる夫 『合評会から』(番町喜楽会) 光迷 国内では元首相の銃撃、円安の進行、海外では台湾海峡やウクライナをめぐる緊張、欧米のインフレなど、いろんなことがあります。しかし、そんなことは打っちゃっといて、夕焼けを見ると、自然はいいなあ、人間のなんと小さいことよ、とつくづく思いますね。自分の場合は、多摩川べりなどからですが…。 二堂 きれいな夕焼けを見ていると、宇宙の大きさを感じ、内外の憂いは小さく感じます。 幻水 内はコロナ、世界はウクライナ、台湾など鬱屈することばかり。それだけに大夕焼けの美しさが身に沁みます。 可升 「内外の」はまさにその通りなんだけど、ちょっと散文的な気が…。 木葉 「うちそと」と読ませたらどうだろう。           *       *       *  上五の「内外の」に違和感を覚えたり「散文的」としたりする評にその通りかもと思う。しかし、自分はこの言葉を「内憂外患」の省略と受け取った。目下の日本は国内にも海外にも難問山積である。しかしそれも自然の営みに想いを馳せれば、なんとちっぽけなことか。もっとも温暖化ならぬ熱帯化で、この星を壊すのは止めて欲しい。それにしても人間の英知とは…。 (光 22.08.15.)

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墓洗ふ男やもめのメメント・モリ 河村 有弘

墓洗ふ男やもめのメメント・モリ 河村 有弘 『季のことば』  大学の柔道部出が集まった「三四郎句会」に登場した一句。「メメント・モリ」の意味、「死を思え」「死を忘れるな」を知る人、知らぬ人が、それぞれいたはずだが、句は適当な点を集めた。「英語じゃないね」の声に、当てずっぽうに「ラテン語かな」の声。すると電子辞書だかスマホだかで調べた人に、「おお、当たりだ」と褒められたりしていた。  掲句の作者は今年一月、奥様を亡くした。もちろん懇ろに葬り、花を捧げ、墓を丁寧に洗いながら愛妻を偲んだのだろう。そして「メメント・モリ」と自身に語り掛けたのだ。死のことは誰もが考えている。しかし真剣に考えるのは「たまに」「少し」というところなのだろう。そして私の場合、八十歳代半ばにして死はぼんやりとし、さほど切実ではない。  古代ローマ時代に生まれた「メメント・モリ」は、世界的な共通語と言えるほどだという。では日本人はどうか。この語を聞いて「何、それ」と問い返す人が多いかも知れない。  しかし我々には、春秋のお彼岸やお盆という、死者を思う行事がある。そして俳句の秋の季語「墓参」や「墓洗ふ」にも「メメント・モリ」の意味が、込められていよう。ならば春の彼岸は? 慌てて歳時記を広げたら、こちらは「彼岸」自体が春の季語になっていた。 (恂 22.08.14.)

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葛の花老いには重き乳房かな   高井 百子

葛の花老いには重き乳房かな   高井 百子 『合評会から』(酔吟会) 迷哲 女房もこれに近いようなことを言っていたことがあります。「葛の花」は下に垂れて咲くので、それと取合せたのでしょうか。内容の深い句です。 三薬 乳房を持て余している人の作った句か、あるいはなりすましの句か。 水牛 女のさがをうまく詠んでいて、「葛の花」との取合せ、配合もなかなかの句です。 双歩 男性には共感のしようのない句で、手が出せませんでした。女性の沢山いる句会だったらどういう評価になるのだろう、などと想像します。 水牛 こういう句は、句を出すのも、句評を語るのも勇気がいります。           *       *       *  男にはない乳房の存在を詠んで、ひとしきり句座が盛り上がった一句である。この日、女性の出席は作者を除いて二人。選句したのは男性だけで女性は採らなかった。女性だけれど老境にないから実感できないという理由なのかどうか分からない。「重き乳房」は作者が後から言ったように物理的な重さを意味しないのは自明だ。比較的高齢者が多い句会だから、こんな句を出してもいいと思ったとも言う。たしかに句会の年齢層や男女比を考えて投句するのは当然のこと。しかし過度に配慮する必要はないだろう。いい句はどこに出してもいい句だ。そう言いながら筆者は採れなかった。後期高齢まぢかの妻の姿が重なって躊躇した。だが老若男女を問わず評価を問うてみたい句なのは間違いない。案外に評点は高いのではと思う。(葉 22.0…

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夏深しマスク少女の目の力   杉山 三薬

夏深しマスク少女の目の力   杉山 三薬 『この一句』  コロナ第7波とあって暑苦しいマスクをはずすことが出来ない。7月28日には東京都内で過去最高の新規感染者1日4万人突破の恐ろしい記録を作った。日本全国では23万人とこれまた最高記録だ。  しかし政府のコロナ対策はお粗末極まりない。というより「何もやっていない」と言った方がいい状態だ。防疫体制を強めると経済活動を圧迫するという理由から、以前のような飲食店の営業時間制限や旅行禁止措置などを再度実施するのをためらっている。国民に行動自粛制限の呼びかけもしない。マスクも「人混みでなければ外しても良い」なんて言っている。というわけで、感染者はまだまだ増え続けそうだ。  この少女は「薄汚い政治家や役人の言うことなんか絶対に信じない」とばかりに、マスクは金輪際はずさぬと、きつい眼差しで前方を見据えている。頼もしい感じもする一方で、壊れやすいクリスタル・ガラスのような危なっかしさも感じる。言われてみれば私もこういう少女の純粋な眼差に出会した覚えがある。  「マスク生活で目の力を感じることが多くなりました。これからの進路に向かっている少女の気合を感じる句です」(実千代)、「マスクをかけている少女の目は、たしかに生き生きとしており、それを『目の力』と詠んでいるのが上手です」(明生)という評があった。 (水 22.08.11.)

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ただいまと覗く夜更の金魚鉢   廣田 可升

ただいまと覗く夜更の金魚鉢   廣田 可升 『この一句』  夜はドラマを生む。逆にドラマに夜は欠かせない。例えば、一本の映画に夜のシーンは結構多い。昔の西部劇映画などはフィルム感度が悪かったため、夜景の代わりに白昼下、特殊なフィルターなどであえて暗く撮る「擬似夜景」という手法が生まれたほどだ。  思うに夜は、視覚からの情報が極端に少なくなるので、聴覚、嗅覚、(場合によっては触覚)が研ぎ澄まされるからではないだろうか。俳句でも「朧夜」、「夜長」など夜の季語を挙げればきりがない。  掲句は「夜更」が効いていてドラマチックだ。作者が独り者だと仮定してみよう。仕事か付き合いか、今日も遅くなってしまった。ドアを開け、手探りで灯りを点ける。靴を脱ぎながら、下駄箱の上の金魚鉢に声をかける。「やあ、元気?」。急に明るくなり、音に驚いた金魚が鉢の中で尾を振って方向転換する。なんだか「おかえり」とでも言っているようで、かわいい。今日一日の嫌なことも、いくらかは癒やされるというものだ。なまじ、しゃべらないだけに、自分の都合のよいように解釈できるのも金魚だからこそ。  金魚や熱帯魚などを飼う魅力の一端を十七音で上手く掬い取り、句会では一番人気となった。 (双 22.08.10.)

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夜濯ぎや男やもめの独り言    加藤 明生

夜濯ぎや男やもめの独り言    加藤 明生 『合評会から』(日経俳句会) 鷹洋 情景が浮かんできた。こうはなりたくないなあと思い、一票入れました。 方円 男やもめの独り言ってのはまあ、想像がつくというか、よくわかる。「夜濯ぎ」の季語と「男やもめ」がぴったりだ。 青水 どこかで出会った記憶があるような句ですが、敢えて頂きました。古めかしい季語とそれにぶつけた男やもめの十二音とのバランスが、最近のボクの気分にうまくマッチしました。 てる夫 夜濯ぎは今どき、死語だろうが、いろいろ思い浮かぶ。夜中の洗濯、手製の銃器?ひとり言?不審な話題になりそう。 木葉 「夜濯ぎ」で成立しているが、「男やもめの独り言」は定型句で、何にでも合いそうだ。 朗 夜の洗濯は近所迷惑なんで、恐る恐るやりました。支局時代の切ない思い出がよみがえります。           *       *       *  「男やもめの独り言」は言い古された文言だと、句会では貶す声が多かったのだが、これに「夜濯ぎ」という季語を取り合わせると、ぱっと生き返る。幸いまだ男やもめになってはいない筆者も、「そうだろうなあ」としみじみとして一票投じた。季語の力は大したものである。 (水 22.08.09.)

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