新涼の信濃は四葩秋桜 高井 百子
新涼の信濃は四葩秋桜 高井 百子
『合評会から』(番町喜楽会)
可升 新涼は初秋、紫陽花は仲夏、秋桜は仲秋の季重なりで、歳時記が信州の実情に合わないと異議を申し立て、杉田久女の「紫陽花に秋冷いたる信濃かな」にも張り合っているようです。
木葉 確かに季重なりですが、信州はまったくこの通りですと主張しているようです。
迷哲 杉田久女の句を想起しました。散るのが遅い紫陽花とコスモスを同時に楽しめるのですね。
水牛 二番煎じの句のような気がしました。「秋桜」だけにした方が良かったのではないかな。
而云 「新涼の信濃はそよぐ秋桜」とか、「新涼の信濃は風の秋桜」とか、どうだろう。
* * *
選句表で見た時から、句会で議論を呼ぶに違いないと思った。作者は創設からのメンバーで句歴も長い。信州上田に夫妻で〝終の棲家〟を構えて十年になる。従って季重なりも久女の句も、百も承知の上で詠んだ句であろう。
数年前に作者夫妻の案内により、秋の塩田平で吟行を催したことがある。山陰に入ると、下界では立ち枯れている紫陽花が大きな花をつけ、野道にはコスモスが咲き乱れていた。木葉氏の句評にあるように、初秋の信州を見たままに詠んだ句と納得する。四葩と秋桜をあえて並べることで両方の季語の印象を薄め、新涼が主役の季語であることを明確にしているのではないか。
杉田久女は父の納骨に訪れた松本で病を得て、近くの温泉でしばらく療養した。紫陽花の句はその時に詠ま…