寛解や栗の花さへ芳しく     谷川 水馬

寛解や栗の花さへ芳しく     谷川 水馬 『この一句』  この句の作者が水馬さんであると知って嬉しくなった。ぜひこのコラムで採り上げたいと思ったが、病状にまつわることなので想像で書く訳にも行かず、作者にメールで問合せた。  以下は、その問合せに対する応え、すなわち、作者の「自句自解」である。 「中咽頭がんの手術を2回続けてやって、もう4年が経ち、経過観察のCT検査も年2回に減って、検査前の恐怖心もほぼ無くなりました。しかし、やはり一度がんを患うと”完治”という言葉ではなくて、“寛解”というなんとも鬱陶しい響きの言葉しか使えなくなります。本当に、私には似合わない感覚なのですが、”寛解”とともに生きなければならないのだなと思えた時に、身の回りのもの全てが、一期一会とか『ありがたい』と思えるようになったのは誠に不思議なことです。これまでなら『迷惑な匂いやなあ』としか思えなかった栗の花の匂いも、『そうかそうか頑張って花を咲かせているんやね』と思えるようになっている自分の気持ちを込めた句です」  栗の花の匂いは、男性の生あるいは性を想起させる「迷惑な匂い」である。その匂いさえ「芳しく」思えるとは、まさに作者自身の生が漲りつつあることの暗喩だと解釈しても、あながち的外れではない気がする。 (可 22.07.07.)

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ピンポン玉ほどのニュートン青林檎 今泉而云

ピンポン玉ほどのニュートン青林檎 今泉而云 『この一句』  吟行で小石川植物園に行った際の句である。このニュートンの林檎の木は、1964年にイギリスから贈られたものであったが、輸入時にはウイルスに感染しており、普通なら焼却処分されるべきところを、文化遺産であることから隔離栽培され、ようやく1981年に公開されることになったものだと、小石川植物園の親元である東京大学のサイトで説明されている。  西洋には、林檎にまつわる話がたくさんあるような気がする。もっとも有名なのは、アダムとイヴの禁断の果実で異存はないだろう。二番目がこのニュートンの逸話かと思うが、最近ではパソコンやスマホについている、あの齧られた林檎のマークかも知れない。また、ウィリアム・テルが息子の頭に林檎を乗せて矢で射抜くシーンも想起される。他にも、トロイア戦争にも、グリム童話にも、カフカの『変身』にも林檎が登場すると、これは最近読んだ本で知った。西洋人にとっての林檎には、われわれ東洋人の預かり知らない象徴性があるのに違いない。  掲句は「ニュートンの青林檎」を、見たままに「ピンポン玉ほどの」と形容している。「似たり」でも、「ごとく」でもなく、「ほどの」としたところがとてもいいなと思った。また中から下への「ニュートンの青林檎」の句またがりが、「ほどの」の表現と相まって、軽快なリズムを作っているのにも感心させられた。 (可 22.07.06.)

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水打つも消えぬお七の燃ゆる恋  流合 水澄

水打つも消えぬお七の燃ゆる恋  流合 水澄 『この一句』  6月18日(土)に文京区の社寺や植物園をめぐる吟行を催した。梅雨空の下、19人が参加して白山神社の満開の紫陽花を眺め、広大な小石川植物園で樹木や草花に触れて句想を練った。掲句は神社近くにある圓乗寺に足を延ばし、八百屋お七の墓にお参りした折の感懐を詠みとめたもの。墓所の様子とせつない恋心を上手に詠み込んだ佳句であり、参加者から高点を集めた。  八百屋お七は江戸時代、恋人に会いたい一心で放火の大罪を犯し、火あぶりの刑に処せられた。数え年16の少女だが、井原西鶴の「好色五人女」に書かれたのをはじめ、歌舞伎や浄瑠璃でよく知られている。圓乗寺はお七の家の菩提寺であり、天和の大火で避難してきたお七が寺小姓と恋仲になった場所。今はビルの谷間となった寺には、建立時期の違うお七の墓が三基並んでおり、参拝の人が絶えない。  墓の前には水桶とひしゃくが置かれ、墓石は参拝客が掛けた水で黒く濡れている。お七の供養のほか、火伏祈願で水を掛ける人もいるようだ。掲句はその水を夏の季語である打水に重ね、お七の恋心はそれでも消せずに燃え盛ると詠じる。季語が巧みに使われ、お七の悲恋が胸に迫る。  現役社員である作者が吟行に参加したのは数年ぶり。久しぶりに句友と一緒に歩き、語らい、句を詠んだ。打ち上げの蕎麦屋にも付き合ってくれたが、吟行の収穫は掲句にとどまらず大きかったのではなかろうか。 (迷 22.07.05.)

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四葩咲く白山神社万華鏡    山口 斗詩子

四葩咲く白山神社万華鏡    山口 斗詩子 『この一句』  「白山神社の紫陽花は三千株を超える。色と形を違えながら咲き誇る様はまさに万華鏡。出店にフラダンス大会、見物の人波もまた万華鏡のようでした」(迷哲)という句評が寄せられていたが、まさに白山神社の「あじさい祭」はこの通りであった。同じ吟行句会に「紫陽花も疲れ顔なる人出かな」(岩田三代)という句もあり、「まだコロナ禍は続いていますよ」という医師会の注意など馬耳東風である。  この句の作者は一昨年来のコロナ籠もりがクセになっていたようだ。かてて加えて昨年秋だったかに足腰を傷め、以来、すっかり出不精になってしまったという。それがコロナ禍も沈静化し、政府の警戒令も解除され、自身の体調も回復したので、「思い切って参加しました」と、久方ぶりに元気な笑顔をみせて俳句仲間を喜ばせた。  白山神社の雑踏をくぐり抜け、八百屋お七の墓のある圓乗寺へ下り、また坂を上って小石川植物園に至り、園内を隈なく吟遊なさった。  恐らく久しぶりの本格的散策だったろう。見るもの聞くもの、何でもが楽しく、煌めいて、文字通りカレイドスコープを覗いた気分であっただろう。 (水 22.07.04.)

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樹間よりこちら窺ふ額の花    大下 明古

樹間よりこちら窺ふ額の花    大下 明古 『この一句』  句友とともに吟行に出かけた紫陽花(額の花)の名所・白山神社(東京都文京区)で、図らずも花の思いに触れてしまった。境内の通路をゆっくり巡り、ずらりと並ぶ紫陽花を眺めて行くうちに、何やら不思議な感覚が生まれてきたのである。通路に面し、人々の感嘆の声を浴びる紫陽花からは、いかにも満足げな、あるいは自慢げな雰囲気が浮かび上がってくるのだ。     やがて気づいた。重なり合うように咲く紫陽花の状況はさまざまである。日当たりがよければ開花も早く、色づきもよくなるようだ。一方、通路に面していても、日陰では何となく勢いがない。しかも隣には陽光を充分に浴びて素晴らしい色合いを誇る紫陽花が「私を見て」と言わんばかりに、咲き誇っている。紫陽花の立場には運、不運がある、などと考えていた。  そして数日後、吟行の幹事から選句表が送られてきて、掲句に出会い、ハッと気づいた。紫陽花は全てが通路に面しているのではない。あの境内には通路の奥の木陰にも、かなりの紫陽花が咲いていた。その紫陽花たちは、人の目にほとんど触れずに咲き続けることになる。樹間の紫陽花の一毬一毬、さらに一花一花は、そんな風に花の生涯を終えていくのである。 (恂 22.07.03.)

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紫陽花や白山まるで村祭り    田中 白山

紫陽花や白山まるで村祭り    田中 白山 『この一句』   吟行句とは難しいものだと日ごろ感じている。吟行に参加しなかった人たちにも句意を理解してもらい、できれば高評価まで得たいと思う下心があるからだ。俳句は「一座の芸」だから、吟行同行者が理解しかつ評価を下してくれればいいではないかという意見ももちろん否定しない。とはいえ読み手に吟行参加者の感覚を持ってもらえる句が理想であろう。吟行句の巨星といえば芭蕉をおいていない。江戸と現代、大違いの時代相を超えて情景がまざまざと目に浮かぶ芭蕉句はやはり偉大である。なんだか大上段の吟行句論になってしまったが、吟行句はじつに難しいと言いたかっただけである。素人が戯言を言っているとお見逃しいただきたい。  さてこの句である。われわれ日経俳句会一行は六月中旬の一日、文京区の白山神社を吟行した。驚いたのは境内を一歩入ると、折からの「あじさいまつり」で大変な人波(もちろんそれ目当てに行ったのだが)。設えられた舞台でフラダンスの女性グループあり、本家白山神社の加賀からやって来た酒や酒菜などの物産を売る露店ありで、雑踏また雑踏の賑わいだった。句はあいさつを兼ねて「紫陽花」を季語に据えた。白山神社の満開のなか「あじさいまつりは白山の村祭り」と詠んだ。紫陽花どきの白山神社の賑わいを知っている人にとっても初耳の人にも、白山界隈の情景が容易に想像できる句となっている。作者の俳号が意図せず織り込まれているのはおまけ。 (葉 22.07.01.)

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