父の日のZIPPOいまだ捨てがたし 廣田可升

父の日のZIPPOいまだ捨てがたし 廣田可升 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 まさにこの句の通り、僕もまだ持っています。ジッポーはよく出来たライターで、火屋(ほや)の穴が左右互い違いになっていて強風でも風が吹き抜けず、火が消えないようになっている。こんな細かいところまで工夫している。大したものだと思いました。昭和25年頃、焼け跡時代の思い出です。 水馬 ジッポーへの愛着と、いまだ時折煙草が吸いたくなること、その両方を詠んだんじゃないかな。 而云 洒落好き、アメリカ好きの親爺が、いつもにこやかに煙草を吸っていたことの思い出でしょうか。親を思う子供の気持ちも表れています。 木葉 「父の日の」の「の」をどう捉えるかで句意が変わってきますね。自分が子供からもらったジッポーとも父親が持っていたジッポーともとれます。           *       *       *  作者によれば「ジッポーは息子からもらったもの」とのこと。現在では考えられないが、かつてライターは格好の贈答品で、海外旅行のお土産に買って来た人も多かった。もとより百円ライターなどなかった時代の話。それが煙草は体に悪いと目の敵にされ、評価が一変。「禁煙がストレスの素になるなら吸ってもいいですよ」といってくれるお医者さんは少数派に。世の中は変わるものではあるけれど…。 (光 22.06.19.)

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