朝摘みの茨の花や牛乳瓶 金田 青水
朝摘みの茨の花や牛乳瓶 金田 青水
『合評会から』(酔吟会)
双歩 茨の花を牛乳瓶に活けたのでしょうか。ずいぶんリアリティのある句ですね。
愉里 散歩か何かの途中に見つけて摘んできたのでしょうか。そういう花は、牛乳瓶のようなものに無造作に入れる方が、かえって似合う気がします。
迷哲 すごく生活感のある句です。「茨の花」で視線を切って、下に視線をずらすと「なんだ、活けてあるのは牛乳瓶じゃないか」という、そういう効果かなと思いました。
水牛 僕は茨の花だからこそ、もうちょっとましなものに活けてくれよと思いました。できれば信楽、せめてマグカップにして欲しかったなあ(笑)。
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この句を見ているうちに妙なことを思い出した。「やはり野に置け蓮華草」というフレーズだ。昔、大臣に抜擢された政治家が我田引鉄の所業のため辞任した。そのとき政界雀の名言がこれ。政治家は味のあることを言うものだと変に感心した覚えがある。ところで大昔の原句は「手に取るなやはり野に置け蓮華草」といって、遊女を身請けしようとした友人を諫めた句だといわれる。ものには適所があるとの謂いだが、この句の「茨の花」を挿す「牛乳瓶」はどうだろうか。合評会のとおり意見の分かれるところだ。牛乳瓶が身近にない今、茨の花との親和性について作者に聞いてみると、「牛乳瓶が家庭にあった頃の俳句と思って読んでいただければ嬉しい」と、これも過ぎし日のこと。
(葉 22.06.15.)