薫風や戒名要らぬといふ女房 廣田 可升
薫風や戒名要らぬといふ女房 廣田 可升
『この一句』
甲論乙駁、合評会を賑わせた一句である。筆者も戒名要らず派だが、ほかにも同調する句友がいた。このご時世であるから、遺言でもなければ派手な葬式を行おうと考える遺族はそういない。家族葬が主流になっており、ごく控え目に済ませるのがおおよそである。親交のあった先輩・知己の死去も口伝てや喪中葉書で後から知る時代になってしまった。コロナで亡くなった派手好きの芸能人でさえそうである。この風潮は折からの低成長経済とも重なり、定着するものと思っている。葬儀社業界の生き残りをよそながら心配しているが、家族葬といいいながらいろいろ収益法を考えているようだ。
こうした時代相だから、「墓要らず」はもちろん「戒名も要らず」の風が徐々に世間を染めつつある。まずは「とても潔い句」「季語に『戒名要らぬ』を取合せたのが爽やか」との評。これに対して、「薫風の季語とは合わない気がする」と疑問が沸き起こった。確かにすがすがしい薫風に合うのかという反論は成り立つ。しかし作者の述懐を聞けば納得だ。ご夫人は書家で、雅号があれば戒名は要らないと軽く言った。それが「薫風」とぴったりだと思ったという。「あんた(作者)も戒名・可升でいいでしょう」とも言って、あっけらかんとした感じがまさに「薫風」であったと思う。真砂女の句「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」を引いてくる声も出て、コロナ禍止まぬなか俳句会は今日も楽し。
(葉 22.06.06.)