洋館の黒々翳り夜の薔薇     徳永 木葉

洋館の黒々翳り夜の薔薇     徳永 木葉 『合評会から』(酔吟会) 迷哲 陽射しの中の薔薇を詠むのが普通なのに「夜の薔薇」を詠み、しかも「黒々翳り」と洋館を形容する。とても手の込んだ句だと思いました。 鷹洋 「黒々」に「夜の薔薇」を重ね、うまいと思います。古河庭園ですかね。一度夜の古河庭園を見てみたいものです。 三薬 薔薇の句の中では異色の、設定のうまい句です。神戸あたりの異人館をイメージしました。 青水 ところで、薔薇の色は見えるのかな?  水牛 真っ暗な中に白い薔薇がぼーっと…。鈴木春信(の「夜の梅」)だなあ。 木葉(作者) YouTubeで見た古河庭園、YouTube俳句です。           *       *       *  古河庭園には安山岩を野面積みした洋館の周囲に百種、二百株ともいわれる薔薇が咲き競う。場所は東京都北区西ヶ原。コロナウイルスが跋扈するまでは夜間ライトアップされていたが、今年も中止とか。ただコンサートなどのイベントは予定されている。  洋館は「日本建築の父」と呼ばれる英国人建築家、ジョサイア・コンドルの代表作のひとつ。西洋庭園の下方に、平安神宮などを手掛けた京都の庭師、小川治兵衛による日本庭園もあり、心字池や林の中に佇む茶室など趣が深い。都会のオアシスである。 (光 22.06.07.)

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薫風や戒名要らぬといふ女房   廣田 可升

薫風や戒名要らぬといふ女房   廣田 可升 『この一句』  甲論乙駁、合評会を賑わせた一句である。筆者も戒名要らず派だが、ほかにも同調する句友がいた。このご時世であるから、遺言でもなければ派手な葬式を行おうと考える遺族はそういない。家族葬が主流になっており、ごく控え目に済ませるのがおおよそである。親交のあった先輩・知己の死去も口伝てや喪中葉書で後から知る時代になってしまった。コロナで亡くなった派手好きの芸能人でさえそうである。この風潮は折からの低成長経済とも重なり、定着するものと思っている。葬儀社業界の生き残りをよそながら心配しているが、家族葬といいいながらいろいろ収益法を考えているようだ。  こうした時代相だから、「墓要らず」はもちろん「戒名も要らず」の風が徐々に世間を染めつつある。まずは「とても潔い句」「季語に『戒名要らぬ』を取合せたのが爽やか」との評。これに対して、「薫風の季語とは合わない気がする」と疑問が沸き起こった。確かにすがすがしい薫風に合うのかという反論は成り立つ。しかし作者の述懐を聞けば納得だ。ご夫人は書家で、雅号があれば戒名は要らないと軽く言った。それが「薫風」とぴったりだと思ったという。「あんた(作者)も戒名・可升でいいでしょう」とも言って、あっけらかんとした感じがまさに「薫風」であったと思う。真砂女の句「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」を引いてくる声も出て、コロナ禍止まぬなか俳句会は今日も楽し。 (葉 22.06.06.)

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新緑の庭に花嫁登場す      今泉 而云

新緑の庭に花嫁登場す      今泉 而云 『この一句』  一読して明治記念館での息子の結婚式を思い出した。神宮外苑にある同館は、緑豊かな森に包まれ、広い庭での写真撮影が売り物の一つだ。結婚式を終えた新郎新婦は、招待客が待つ芝生の庭に登場する。初夏の頃は周囲の木々や植栽の緑に、花嫁のウエディングドレスや打掛が映え、まるで花が咲いたようだ。掲句はそんな結婚式の一場面を鮮やかに切り取ったもの。「登場す」の措辞が実に効果的で、待ち構える客とそこに現れた花嫁の姿が、新緑の中に鮮やかに立ち上がってくる。  爽やかな晴れ間が続く新緑の頃は、結婚式のベストシーズンでもある。結婚情報誌の調査によると、月別では秋の10月、11月が最も多く、5月、4月がそれに続く。ジューンブライドの6月は6番目と中位で、やはり好天の多い月の人気が高いようだ。新緑はこれから木々が葉を茂らせ、伸びて行く時期である。若い二人の出発にふさわしい季節ともいえる。  句会で名乗り出た作者によれば、何と明治記念館で親戚の結婚式に参列した時の印象を詠んだという。同じ場面を見て詠んだ句と聞き、嬉しくなった。少子化で結婚する若者が減っているのに加え、近年のコロナ禍で式場はどこも苦戦が続いている。参加人数を絞ったり、ノンアルコール飲料にするなどコロナ対応の挙式に知恵を絞っているそうだ。神宮の森は今年も変わらずに新緑に輝いている。苦境に負けずに旅立つ二人を優しく見守っているに違いない。 (迷 22.06.05.)

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麦の秋つぎのバスまで三時間   加藤 明生

麦の秋つぎのバスまで三時間   加藤 明生 『季のことば』  麦秋とは麦が実り、刈入れの時期を迎えた頃を言う初夏の季語である。「秋」と言うと現代人は9月10月を思い浮かべるが、本来は穀物の実る「時」を指す文字であった。古代中国王朝の都は長安(西安)、洛陽など黄河流域にあり、この一帯は小麦地帯だから、「麦秋」はまさに「実りの時」だった。現代もこの麦の収穫期の黄河流域一帯は「麦刈り労働者」が各地から集って、大賑わいとなる。  日本の麦秋はそれほどの大騒ぎにはならないが、田植え時期と相前後するので農家にとっては大変な繁忙期となる。  そういう農作業を他人事のように眺めている都会人には、麦秋の頃合いは絶好の行楽日和である。もう十日もすれば梅雨の走りの雨が降る。五月末から六月はじめにかけての、高気圧、低気圧交互にやって来て天候不安定な中での幸運な晴天。きれいな青空の中に雨を呼ぶような雲も見える。江戸後期の金沢出身の俳諧宗匠桜井梅室はそうした雲行きを「麦秋や雲よりうへの山畠」と詠んでいる。  それはともかく、恵まれた日和を楽しもうと高齢男女はいそいそと郊外散策に出で立つ。電車に1時間ばかり乗って郊外に出れば、首都圏かと疑うような田園が広がる。しかしもうそのあたりは過疎地。バスの停留所はあるものの、時刻表を見れば朝夕の通勤時間こそ20分に1本あるが、それを外せば三時間に一本しか来ない。それでもまあいいや、コンビニで買ったおにぎりとお茶があるし、雲雀の声でも聞きながらゆっくり命の洗濯をしよう。 …

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木の芽風ワインを醸す三代目   中村 迷哲

木の芽風ワインを醸す三代目   中村 迷哲 『この一句』  山梨の桃源郷で吟行をした時の句である。なんと十二名の参加者のうち、八名が吟行の最後のイベントであるワイナリー訪問を詠んだ。全員が同じ場所を訪問する吟行において、句材が重なることはままあることであるが、参加者の七割が同じ句材を詠むのは驚きである。それ以上に驚いたのは、ワイナリーを詠んだ八名のうち五名が、このワイナリーの三代目社長を詠んだことである。掲句のほかにも次のような句が並ぶ。   花咲くや三代目はよき醸しびと 水牛   葡萄芽吹くワイン農家は三代目 青水   三代目社長の律儀蔵うらら   三薬   家三代ワインに賭ける蔵の春  木葉  このワイナリーそのものと、隣接する葡萄畑で自ら説明役を買ってくれた三代目社長の印象が如何に強かったかを物語っている。一行の多くは元新聞記者。さすがに次から次へと質問が飛び出す。上等な質問にも、そうでない質問にも、この若い社長は、一つ一つの質問にとても律儀かつ誠実に答えてくれる。筆者は特に「チリの安いワインには正直頭が下がります」という言葉に、ずいぶん出来た人だなあと感心させられた。  実はこの日の幹事の三薬さんは体質的にお酒が飲めない人。それにも拘らず、こんな素敵な機会を作ってくれた幹事に、ただただ感謝するしかない。この後も5月には唯一残る都電に乗って薔薇を愛でる吟行を成功させ、6月には紫陽花吟行を計画している。ついに俳句会の吟行担当幹事に祀り上げられた。 (可 22.06.0…

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新緑や弓引き絞り気を静む    池内 的中

新緑や弓引き絞り気を静む    池内 的中 『この一句』  弓道については素人だが、練習したり、試合したりの「射場」の様子は、テレビの映像などによって、おおよそ分かっているつもりだ。射手はまず、射場に立ち、近的の場合は二十八㍍先の的を見つめ、弓に矢をつがえ、引き絞り、気を鎮めるのだ。句はそこまでを詠んでいるのだが、俳句作品として最も重要な「新緑や」が上五に置かれている。  射場の多くは的までの空間に屋根はなく、壁などの仕切りもなく、空気(風)の通うオープンな場所である。射手の視界の端には外側の景色も当然、入ってくるはずだが、そこに視線を移すような場合ではない。視線は的に向け、視界の端に新緑を感じつつ、気持ちはもちろん前方に向けている。さて矢は、思い通りに的を捉えたのかどうか。  ここで不意に子供の頃に見た四コマのマンガを思い出した。一コマ目が「弓に矢をつがえ」。二コマ目が「満月のように引き絞り」。三コマは「ヒョウと放てば・・・」。そして最後の四コマ目は「矢は飛ばず」。ポトンと下に落ちてしまうのだ。しかし作者の矢は的の真ん中を見事に射抜いたに違いない。なにしろ俳号が「的中」なのだから。 (恂 22.06.01.)

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