拭き掃除何だか嬉し梅雨晴れ間  池村実千代

拭き掃除何だか嬉し梅雨晴れ間  池村実千代 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 反平 もうこれ読んだだけで、僕もなんだか嬉しくなっちゃった。梅雨晴れ間って、ほんとにいいもんでね。 てる夫 気持ちがよく分かりました。 芳之 本当にこの嬉しさに共感します。 三薬 「何だか嬉し梅雨晴れ間」の上五に何をくっつけたって、句になりそう。まあ、みんなが喜んでいるのでいいかと。           *       *       *  上五に何の季語を置いても成立するので有名な句に、八代目入船亭扇橋作と言われる「梅が香や根岸の里の侘住居」がある。確かに「朝顔や」でも「時雨るるや」でも何でも合いそうだ。そんな先例もあって、三薬さんの感想に頷けなくもないが、作者が判明すると「拭き掃除」は動かない気がする。何といっても、読後感が爽やかだ。  作者は主婦。いつもやっている拭き掃除だが、梅雨の晴れ間はことのほか捗る。気分も乗って、鼻歌のひとつも出るというもの。「梅雨の晴れ間に一番似合う家事は、やっぱり拭き掃除よ」――、腕まくりをしながら、そう独白する作者が浮かぶようだ。 (双 22.06.30.)

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黴払い十年ぶりのモーニング  深田 森太郎

黴払い十年ぶりのモーニング  深田 森太郎 『この一句』  洋服ダンスからモーニングを十年ぶりに取り出すとは、どんなシチュエーションなのか、ドラマ性をはらんだ句である。モーニングコートは英国の乗馬服が始まりとされ、現代では昼間の正装礼服となっている。叙勲や園遊会など公式の場で目にするが、一般的には結婚式の新郎と新郎新婦の父親、あるいは入学・卒業式の学校長などが着用する。  作者は学校勤めでもなく、勲章話も聞かないので、結婚式に着用するのであろう。「十年ぶり」の言葉が手掛かりになる。子供が何人かいて十年前の結婚式で着たモーニングを仕舞っておいた。ほかの子供の結婚式で着るつもりでその時に誂えたのかも知れない。ところが次の子は仕事が面白いのか出会いに恵まれないのか、なかなか結婚しない。気が付くと十年経っていた。  諦めかけていたら結婚が急に決まり、モーニングを慌てて取り出した。見ると白い黴が吹いている。ブラシで払い落としながら、十年の歳月の長さと、再び出番が巡ってきた喜びをかみしめている。そんなドラマを想像してみた。  作者は日経俳句会設立時からのメンバーだが、近年病気がちで句会への出席も減り、投句も間遠になっている。そんな時に届いた句であり、十七音の嬉しい便りといえる。作者が十年ぶりの家族の慶事に元気を取り戻している姿を、これまた勝手に想像している。 (迷 22.06.29.)

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鰹節削る楽しさ冷奴       徳永 木葉

鰹節削る楽しさ冷奴       徳永 木葉 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 水兎 鰹節削りなんて、ほとんど見なくなった情景だなと思うんですけれど、やっぱり子供の頃を思い出しながら採りました。楽しいですよね。固い鰹節は削っても削っても減らないなっていう感じが面白くて。 水牛 あれで削った鰹節は袋詰の削り節と全然違うね。ほんとに美味しい。 ヲブラダ わざわざ鰹節を削るとはこだわりですね。なぜか豆腐がよく冷えていることが分かります。 森太郎 これにビールがあれば言うことなし。 操  子供の頃、鰹節を削る手伝いをしたことが蘇る。鰹節の風味が冷奴に一段と美味しさを呼ぶ。 三代 冷奴をあてにビールでしょうか。そんなワクワク感が伝わってきます。           *       *       *  我が意を得たりという句で嬉しくなった。シュッシュッと削ると、何とも言えない旨そうな香りが立ち上がって来る。冷奴もそうだが湯豆腐のときもそうだ。長年使っていた削り器の刃が摩滅してしまったので、デパートに行ってみたら一台だけあった。しかし二万円と言われて、さすがにちょっと手が出なくて、古いのをだましだまし使おうということにした。というより、近頃は、年取ったせいだろう、根気が失せて、こうした手間のかかる仕事をやらなくなった。ついつい、市販のパック詰めの削り節ですますことが多くなっている。我ながら情けない。 (水 22.06.28.)

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椿の葉輝き増せる芒種かな    澤井 二堂

椿の葉輝き増せる芒種かな    澤井 二堂 『季のことば』  我が家の小庭に一本の実生の椿がある。この春の末、その椿を見上げ、昨年までとは何か違っている、と気づいた。これまでは年ごとに茶毒蛾の幼虫が発生、新芽を食い荒らされてしまうので、防虫剤散布が私の義務のようになっていた。それが今年、新芽はすでに成長し、緑色を深めて固く、蛾の幼虫など寄せ付けない状況なのだ。  そして六月初旬の句会の兼題に「芒種」という兼題が出て、大いに悩まされた。「芒(のぎ)のある穀物の種を播く時期」の意味で、二十四節気の一つだそうだ。歳時記的には重要な季語らしいが、都会住まいの者が腕を組み、頭を傾げても、いい句は生まれそうにない。そして句会に出て掲句を目にし「ガン」と一喝を食らった感じがした。  「そうか、これでいいのだ」と思った。「田植え」なら農村に行けば目にすることが出来るが、「芒種」では、いい材料になかなか出会えない。句の作者は植木鉢の椿に水をやりながら、この句を生み出したらしい。残念ながら選んだのは私一人だけだったが、永遠に忘れられない一句、と私は評価している。誰が何と言おうと。 (恂 22.06.27.)

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田水入る一番乗りはあめんぼう  高井 百子

田水入る一番乗りはあめんぼう  高井 百子 『この一句』  初夏になると田植に備えて田んぼに水が引き入れられる。この水と泥をトラクターなどで掻き均す代掻きを行い、田植となる。掲句は水が入ったばかりの田に、早くもアメンボ(水馬)が泳いでいるのを見つけた小さな驚きを語調良く詠んでいる。「一番乗り」の措辞がまことに効果的で、水を得て生き返った田と、スイスイ泳ぐアメンボの姿が見えてくる。水田風景が晩春から初夏へと移り変わる一瞬を活写した佳句であり、六月の番町喜楽会で最高点を得た。  ところで「田水入る」も「あめんぼう」もともに夏の季語である。一句の中に二つ以上の季語があるものを「季重なり」といい、季語の印象を薄め合うので、避けた方がよいとされる。ただ主役となる季語が明確な場合など許容される例もある。  この句はどうであろうか。「田水入る」も「あめんぼう」もどちらも欠かせない要素であり、むしろ組み合わさることで、初夏の印象がより強まっている。二つの季語がお互いを活かし合う絶妙な取り合わせの句と言える。  上田市に住む作者の家の周りには田園が広がる。日課の散歩を欠かさない作者は、季節の移ろいに目を凝らし、句に詠みとめる日々を送っている。「一番乗り」の言葉には、小さなアメンボを誰よりも早く見つけた作者自身が投影されているように思える。 (迷 22.06.26.)

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老鶯や讃岐は円き山ばかり    須藤 光迷

老鶯や讃岐は円き山ばかり    須藤 光迷 『この一句』  私事ながら、筆者が昭和五十六年に三十歳で転職した時の、最初の赴任地が高松営業所であった。香川、徳島、高知の三県を担当する営業所で、おもに高松から坂出、丸亀などの地域を営業車で回る生活が始まった。その時、最初に目にした光景は、まさにこの句に詠まれているとおり、「讃岐は円き山ばかり」だった。  讃岐平野でいちばん目立つ山と言えば飯野山だろう。お椀を伏せたような形をしていて、讃岐富士とも呼ばれる山である。地元の人たちは飯山(はんざん)と呼びならしていた記憶がある。讃岐平野では、この山を筆頭にあちこちに似たような山が見える。合戦で有名な屋島は、決して円き山ではないが、これも、お椀ならぬ皿を伏せたような台地状の低い山である。この句は「老鶯」と「円き山」の取合せが絶妙で、のんびりしたのどかな雰囲気を醸し出している。  住んでみると、讃岐は風景のみならず言葉つきなどもおっとりしたところで、対岸の中国地区の「仁義なき戦い」とも、土佐の「なめたらいかんぜよ」とも少し違う、小市民にはとても居心地の良い場所だった。だが、この高松駐在はたった八ヶ月で終わりを告げた。最初は「ええっ、高松かあ」とややネガティヴだったが、瀬戸内海の鯛もおこぜも、土佐の皿鉢料理も存分に食べたとはいえず、未練たらたら東京に転勤した。この句は誰が読んでも名句であるが、筆者にとっては、それに加えて郷愁をかき立てる句である。 (可 22.06.24.)

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夏の山逆さに青し田の水面    和泉田 守

夏の山逆さに青し田の水面    和泉田 守 『合評会から』(日経俳句会) 朗 描かれている場面がすーっと入ってくる。気持ちいい。 水牛 面白い風景をうまくとらえている。そのウイットに感心した。 操 田に揺らぐ逆さの夏山。心が安らぐ風景が広がる。 水馬 夏山の影が、まだ稲が生えそろわない田んぼに青く映っているという表現が良いと思います。           *       *       *  田圃の水面に映る夏山が逆さまというのは至極当たり前である。しかし、「逆さに青し」という歌い方がとてもいいなと思った。この句を採った人が口を揃えてそう言っている。  なにしろ17音しか無い窮屈な世界だから、余計なことは言えない。「見たママを詠む」とは言っても、ともすればはみ出してしまう。ぴしりと決まる単語を、いかにうまく配置するか。俳句は「嵌め絵パズル」のようなところがある。定型詩はすべてそうなのだが、最短詩である俳句は特にこの「嵌め込む技術」が求められる。うまく嵌まれば拍手喝采。作者も読者も爽快感を抱く。こうしたゲーム感覚をまとったとろのあるのが俳句という文芸ではないか。そうした点が若い人たちにも受けて、近頃、若い俳句愛好家がぐんと増えているという。  この句にはそうした趣がある。 (水 22.06.23.)

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苗放る老母の面影芒種かな    池内 的中

苗放る老母の面影芒種かな    池内 的中 『季のことば』  二十四節気の一つ「芒種」は六月六日。当日昼のテレビ番組で天気予報士がクイズを出していた。「芒種」と「穀雨」どちらが種まきの時を表す季語かと。迷った出演者の多くは穀雨を選択していた。さように現代人にはなじみのない言葉であろう。  上の句はとうぜん昔の情景である。機械植えが当たり前の今では、手植えの実景を見る機会はほとんどない。残るは新嘗祭に用いる米を天皇が皇居の田んぼにお手植えするか、地方学校の実習くらいだろうか。「苗放る」という上五に懐かしさがよみがえる。「早乙女」の昔より田植えは女性が主役となる農作業。親父が畦に立って田んぼの中で待ち構える女房、娘につぎつぎ苗を放り投げる。よく見た光景である。映画好きの筆者は、なぜか戦後のイタリア映画『にがい米』を思い出す。若い豊満な女優が演じる田植えシーンが重なり合う。どうでもよいが、女優の名はシルヴァーナ・マンガーノ。  この句の場面は女性が投げ役で、しかもかなりお年を召した母親という設定だ。芒種の兼題にこの情景はしっくりきた。なにより景が鮮明でノスタルジーがある。今の若者にちょっとした俳句ブームが起きているが、彼らがこのような句を詠むことなく早晩鑑賞句から外れてしまうに違いない。句中「面影」としているので、「老母」はただ「母」とすべきとの合評に肯けるが、やっぱり作者思い出の中の「老いたおふくろ」なのだろう。 (葉 22.06.22.)

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ビニール傘べりべり開く走り梅雨 嵐田 双歩

ビニール傘べりべり開く走り梅雨 嵐田 双歩 『合評会から』(日経俳句会) 迷哲 梅雨にビニール傘はよくある光景だ。あるある俳句の一つだが、句に味がある。 鷹洋 べりべりの音が良い。雨が降り出すとあちこちでべりべりやっている。 三薬 俳句大家の中にはオノマトペを歓迎しない向きもおられるが、このべりべりは良い。 光迷 ビニール傘はくっついてなかなか開けず、イライラすることがあります。「ベリベリ開く」の表現に共感しました。 阿猿 今回最初に採った句です。「べりべり」がいい。鬱陶しい季節をユーモアで迎え撃つ姿勢に共感します。 ヲブラダ あるあるなのに着眼がすごい! 定利 べりべりが面白い。 而云 私は、べりべりが気に食わなかったので採らなかった。悪くはないんですが、表現が美しくない。           *       *       *  一旦使って濡れたビニール傘は、しまっておくと張り付いてしまう。作者も「一度雨に濡れてしまうとくっついてしまう。そのべりべり感を詠みたくて」と述べていた。オノマトペの乱用は好ましくないが、この「べりべり開く」の中七はしばらく使っていなかったビニール傘の感じをとてもよくつかんでいる。しばらく晴天が続いての一雨、「いよいよ梅雨」という「走り梅雨」の季語もよく効いている。 (水 22.06.21.)

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高遠は空濠渡るほととぎす   玉田 春陽子

高遠は空濠渡るほととぎす   玉田 春陽子 『この一句』  長野県伊那の高遠町は高遠城址公園に咲く「タカトオコヒガン桜」が有名だが、近年、幕末から明治期の俳人・井上井月との関わりでも少しずつ知られるようになった。「放浪の俳人」と呼ばれる井月は長岡藩の武士の家に生まれたが、藩政と相容れず、放浪の旅に出る。結局、伊那に居つき、そこでも放浪生活を送って一生を終えた。  その井月、一八六〇年頃に伊那を出て、京都、尾張、江戸などを巡り、各地域の著名宗匠などから一句ずつを得て、句集「越後獅子」を編集。その刊行にあたって、序文を頂くために訪問したのが高遠藩の著名な家老で俳人の岡村菊叟であった。菊叟は井月の人柄が大いに気に入ったようで、濁酒をふるまい、序文の求めに快く応じている。  そんな逸話を心に掲句を見て、私は大いに感じるところがあった。高遠城の濠は空堀ばかり。そこを時鳥が鳴きながら渡っていくのだ。井月は俳句史上「低俗、陳腐」と貶され続けてきた「月並時代」の俳人である。しかし「越後獅子」などによると、井月の句はもちろん、伊那の弟子たちの句はレベルが高い。掲句に出会って私は、月並時代の句と一括りにされる彼らの作品を広く知らせたい、と思い立った。 (恂 22.06.20.)

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