言葉出ぬままにつつじの浄閑寺 植村 方円
言葉出ぬままにつつじの浄閑寺 植村 方円
『合評会から』(都電荒川線薔薇吟行)
三薬 あそこを訪ねたら、無言、俯き加減で出てくる。正しい姿でしょう。バラで浮かれ気味のところ、歴史の現実に引き戻されたひと時。
青水 上八の措辞と下九のさらりと季語を入れ込んだ句またがり。夕暮れ近くの、日陰の濃くなりだしたあの吟行の雰囲気を、たくみに表出している。技巧を感じさせない措辞に一票。
三代 投げ込まれた吉原の遊女の境涯を思うと本当に言葉も出ません。つつじの美しさがかえって世の非常さを感じさせます。
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この寺はとても古く、家康が江戸に入る前からあったらしい。とにかく、荒川辺の湿地帯と田んぼと畑の僻村に出来た寺だが、江戸の町が開かれ歓楽街吉原が近くに誕生したⅠ600年代半ば以降、身元引受人の居ない遊女の遺骸を葬る場所になって一挙に有名になった。
今訪ねる浄閑寺は町中の、商店やマンションの並ぶ一角にあって、表門はごく普通の大きなお寺である。本堂に向かう舗装された広い前庭はさしたることもない。しかし、本堂脇の門をくぐって墓地に入ると、タイムマシンに乗ったような感じになって、陰陰たる空気に押し込められる。お地蔵様を載せた大きな「新吉原総霊塔」があり、その下の地中には、昭和33年に売春防止法が施行されて吉原遊廓が無くなるまでの300年間に死んだ遊女27000体が埋まっているという。墓地には誰とも知れない参詣者による香華が絶えない。なぜか赤い…