戦争を知らぬ雑踏春渋谷 和泉田 守
戦争を知らぬ雑踏春渋谷 和泉田 守
『この一句』
ロシアの侵略二か月。ウクライナ戦争の句がいくつも出た。現地の惨状は毎日毎時、新聞・テレビ・ネットで報じられる。幸い戦後日本に戦争はなかった。以前、アメリカと戦った事実を知らない大学生が少なくないとの報道に驚愕したことがある。太平洋戦後八十年弱、当時を知る世代が年々減っていくのはしかたない。明治・大正・昭和の現代史教育がなおざりになっているのが、つとに指摘されている。
渋谷のスクランブル交差点はいまや世界的な名所である。コロナでインバウンド観光が停まった現在はその面影が薄れたが、交差点を嬉々として渡る外国人のユーチューブ画像を何度も見た。他人にぶつからず雑踏を交差するのは、外国人には不思議で得難い体験とみえる。いまの渋谷交差点は人出が復活した。若者が大半だろう。彼らは当然戦争世代ではないが、ウクライナで起こっている現実をはたして認識しているのだろうかというのが、この句の意図であろう。最先端フアッションに身を包んだ彼らの意識を推し量っているのだ。作者は否定的にみているのは間違いない。しかし悲観する必要はないと筆者は思う。若者の中には真剣に戦争を憂い、反戦デモやウクライナ支援活動に参加するグループが一方にいるのも確かだ。
この句の肝は「若者」と言わず「雑踏」としたことだろう。これで若者の街・渋谷をきっちり表現した。世代間の意識の差を問う時事句である。
(葉 22.04.29.)