春愁の午後もて余しかりん糖 金田 青水
春愁の午後もて余しかりん糖 金田 青水
『季のことば』
春愁は「春の物憂い気分を言う」(水牛歳時記)季語である。よく秋の「秋思」と対比されるが、「秋思が厳しい冬を迎える寂寥感が根底にあるのに対し、春愁は春の華やかさの裏にひそむある種の暗さ、倦怠感を伴った『もの思い』である」(同)。
掲句は春の日の午後、けだるいもの思いに身を浸しながらかりん糖をつまんでいる景である。「もて余し」の措辞が物憂い気分と所在なさを伝え、付けあわされた「かりん糖」が絶妙に響き合っている。句会でも「春愁には所在なさが付きまとい、所在なき午後にかりん糖が良く合う」(春陽子)、「ちょっとつまんじゃうかりん糖がいいですね」(愉里)と同感する人が多く、春愁の兼題句で最高点を集めた。
かりん糖は小麦を練って棒状にし、油で揚げて黒砂糖などの蜜をかけた和菓子である。奈良時代に遣唐使が持ち帰ったとする説が有力だが、長崎を経由した南蛮渡来説もあるという。老舗の高級菓子というよりも、庶民のおやとして好まれてきた駄菓子である。所在ない春の午後に、何ともなしにお菓子をつまみたくなる。ケーキや饅頭ではしっくりこない。やはり気楽に手の伸びるかりん糖であろう。
(迷 22.03.23.)