菫咲く嬉しきことの幾許か 向井 愉里
菫咲く嬉しきことの幾許か 向井 愉里
『この一句』
「幾許」の読みは「いくばく」。少しだけというニュアンスを意味する言葉だと捉えた。あまり俳句では見かけないこの言葉を使ったのが表現として面白く、春の季語の「朧」ではないが、この言葉も春のぼやーっとした気分に見合っている気がして採った。
ところが、句会の前にネット検索をしていたら、「幾許」には「いくばく」以外に、「ここだ」「ここば」「ここばく」「そこばく」などの読みがあり、少しというニュアンスではなく、どちらかというと、数や量が多い状態を指すという説明があり、あれあれと思った。作者は間違いなく少ないイメージで詠まれていて、こちらもそのように解釈している。多いというニュアンスにはほど遠く、納得がいかない。
いろいろと調べてみると、ある辞書にこうあった。《いくばく【幾何・幾許】①どれくらい、いくら。②(下に打ち消しを伴って)あまり多くない、すこし。③(「いくばくか」の形で) わずか》つまり、「幾許」は本来不定の数量を意味するのだが、否定形で使うと少ないの意味になり、更には、「幾許か」の形で使えば、否定形でなくても少ないことを表す、となっている。この説明で腑に落ち、合点がいった。
改めて読むと、疫病の蔓延やヨーロッパの戦争など嫌なことの続く世の中、可憐な菫の花を見て「幾許か」心が癒された、作者の心情がよく伝わる句である。(可 22.03.16.)