春暁や厨の妻の小さき声     髙石 昌魚

春暁や厨の妻の小さき声     髙石 昌魚 『この一句』  「厨(くりや)」という言葉は日常会話ではまず遣われない。ところが、俳句では度々お目にかかる。逆に「台所」はあまり見かけない。三文字と五文字の違いもあるが、旧仮名遣いで「や」「かな」の切れ字など、専ら文語表現を多用する短詩だからだろう。  掲句は春のしらじらと明け染める頃、台所で朝食の用意をしてるカミさんの声が聞こえてきた、というどこの家庭にもありそうな日常を詠んでいて、微笑ましい。「『はあ、寒い』と呟かれたのでしょうか」(明古)とか、「受験の子供と明け方に起きて弁当を作っているのだろうか」(迷哲)との感想があった。あるいは独り言でも聞こえたのだろうか、などと様々な解釈ができて楽しい句だ。  ところで、春暁と厨は相性がいいのか2月句会には掲句のほかに、「春暁の耳に馴染みし厨音(双歩)」と「春暁の仄明りにて厨ごと(弥生)」の2句があった。筆者の句は、包丁を使う音や什器の触れ合う音をイメージしたが、掲句の方が具体的で素直だ。それにしても、弥生句にはハッとさせられた。暖かな布団で微睡んでいる男が詠んだ句と違い、女性は台所に立つ当事者なのだ。視点の違いが顕著な例と感じ入った次第。 (双 22.03.09.)

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