耕して耕し続け日の暮るる   流合 水澄

耕して耕し続け日の暮るる   流合 水澄 『合評会から』(日経俳句会) 双歩 鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」を思い出しました。リフレインが効いています。 水牛 耕しても耕してもまだ耕し切れない。日が暮れて来た。という農作業の大変な様子をそのまま詠んだ句なのだろうが、もっともっと深い意味も感じさせる。何か一生の仕事と決めた宿題があって、励んでも励んでもなかなか完成に至らない。もう私も年だ。日暮れが近い、ということを「耕」という季語に託した句なのかなあと思った。 明生 田畑を耕している農夫の力強さ、忍耐強さなどがひしひしと感じられる句だと思いました。下五の「日の暮るる」に農夫の哀愁みたいなものを感じた。 睦子 開拓時代の開墾の様子を想像しました。           *       *       *  私の合評会での発言は、自分勝手な深読みかも知れない。しかし、とにかくそんなことまで思わせる句である。若い若いと思っていたこの作者も今やいわゆる「実年」。職場でも家庭でも、こなさねばならないことが山積する時期であろう。さすれば私の句解もそれほど的を外したものでもなさそうだと思えるのだが・・。作者はこの句会を機に「水澄」と名乗るように決めた。「流れの合う処、やがて水澄む」と。この句と俳号とが響き合う。 (水 03.06.)

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