三渓園はずむおしゃべり梅見酒 新井 圭子
三渓園はずむおしゃべり梅見酒 新井 圭子
『季のことば』
「梅見」(観梅)は初春の季語である。水仙や福寿草、菫など早春に咲く草花はいくつかあり、猫柳や蠟梅など春早くに花を付ける木々が無いではないが、なんと言っても初春の野山を彩る代表選手は梅である。万葉時代から平安初期には春の花と言えば梅であった。桜がもてはやされるようになったのは平安時代中期以降のようだ。ともかく、枯れ色一色の野山に、廩として香る花を咲かせるから、誰も彼もまだ寒い中を我先に梅見に出掛け、日溜まりに座をしつらえて梅花を愛でながら酌み交わした。
この句の「三渓園」は横浜・本牧にある明治から昭和初期にかけて活躍した豪商原三渓の邸宅跡の名園。二月から三月初旬にかけて500本以上の白梅紅梅が次々に花を咲かす。中でも名物が「臥竜梅(がりょうばい)」。三渓の庇護を受けていた日本画家の下村観山は園内の三渓の自宅に寄宿し、臥竜梅を写生し、大作「弱法師(よろぼし)」(重要文化財)を描き上げた。今では臥竜梅はすっかり老木になっているが、まだまだ懸命に花をつけている。
梅林の近くに三渓が作らせた待春軒という建物があり、今は茶店になっている。三渓が考案した具を上に散らした「三渓そば」が名物。この句は、気の合う仲間とうち連れて、おでんと三渓そばを肴に梅を見ながら一杯やっている情景だろうか。「梅見酒」と固有名詞「三渓園」が響き合う、長閑でとても感じの良い句である。
(水 22.03.03.)