教科書を消した記憶や紀元節 河村 有弘
教科書を消した記憶や紀元節 河村 有弘
『合評会から』(三四郎句会)
信 日教組のせいで歴史教育がないがしろにされた。本当の歴史を教えるべく努力しなければならないと思っています。
而云 敗戦後、教科書に墨を塗った根源に紀元節(建国記念日)があった、と作者は訴える。この記念日の背負った深くて重い記憶である。
久敬 敗戦直後の驚天動地の強烈さ。
賢一 昭和十五年前生まれの人でないとこの経験は無い。一枚の新聞紙ほどの紙を渡されて、切ったり貼ったりして教科書にしたことも思い出します。貧しい時代だったが、子どもたちは元気一杯だった。
雅博 時代をうまく表している。
進 終戦直後の悪夢。教科書の墨塗り、壊された奉安殿の瓦礫運び、教師の左翼化、教頭のマッカーサー崇拝・・・。
* * *
昭和20年になると毎日毎晩空襲で東京横浜辺では登校しないまま夏休み。そして敗戦、秋の新学期。もう空襲の恐れのない学校に行くと、最初にやらされたのが教科書の墨塗り。その翌年、昭和21年2月11日には「紀元節」は法律上は残っていたのだが、誰も祝う人は居らず、23年、新しい祝日法制定の折にGHQ(連合軍総司令部)の命令で紀元節は抹消された。
建国記念の日(紀元節)が巡って来るたびに、教科書塗りつぶしという強烈な体験を思い出すよと作者は言う。孫・ひ孫世代にはこうしたことを経験させたくないとつくづく思う。
(水 22.03.01.)