湾内に響く吹鳴春の雪 谷川 水馬
湾内に響く吹鳴春の雪 谷川 水馬
『この一句』
「吹鳴」という言葉を久し振りに聞いた気がした。手元の古い広辞苑を引くと、簡潔に「ふきならすこと」とある。してみれば、漁協のサイレンの音でもいいし、桟橋で吹く下手なトランペットでもいいし、岸壁まで逃走車を追い詰めたパトカーでも良い。けれども、これは船の汽笛に違いないと思った。ついでに言うと、この句を読んで、なぜか寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」の歌を思い出した。「海」以外に共通性のない俳句と歌なのに、子供のビデオゲームじゃないけれど、どこかにある隠しボタンに触れると、ピンボールが跳ねるようにこの歌が連想されるのである。
この句には水牛氏から、わざわざ「吹鳴」なんて使わずに「湾内に響く汽笛や春の雪」とした方が情景が素直に伝わるのではないか、との指摘があった。そして、作者の初案はまさに指摘通りの句だったらしい。でもなぜか、作者は「吹鳴」を選び、筆者は「吹鳴」に惹かれてこの句を採った。水牛氏の指摘は、反論しようのないくらい正論なのに。
たぶん、「汽笛」ではなく、「吹鳴」だから、その人固有の隠しボタンに触れる何かがあるのだろう。いずれ、甘っちょろく、センチメンタルなものに違いないだろうが、言葉にはいつもそんなものがつきまとっている気がする。
(可 22.02.27.)