命継ぐ草の芽歩道の亀裂より 野田 冷峰
命継ぐ草の芽歩道の亀裂より 野田 冷峰
『この一句』
草の芽の生命力に心打たれた作者の眼差しが浮かんでくる。ハコベ、ナズナ(ぺんぺん草)、イヌフグリ、スズメノカタビラ、オヒシバ、メヒシバ、オオバコ等々、春先の空地や道端には大雑把に“雑草”と片付けられる草の芽が続々と生えて来る。毎朝毎夕の散歩では伸び具合に気づかないが、雨に降り籠められたり、風邪気味で二三日外出を控えたりした後だと、これが同じ道かと思うばかりに緑が濃くなっている。
ことに目につくのが歩道の敷石の継ぎ目やアスファルトの割れ目に生えた草の芽だ。よくぞこんなところにまで芽生えたものよと思う。しかしこれは自然の摂理とも言うべきもので、草の芽はまずこういう所に芽生えるのだ。生い茂って花咲き、実った草は種を四方に飛ばす。種は雨風に吹かれ流され、自然に落ち着く所に落ち着く。大概は水分補給に最も有利な溝や岩の割れ目、都会ならば舗装の石の隙間やアスファルトの亀裂である。そこにわずかな土があればしっかり根を張り芽を生やす。太った根が時には道の亀裂を押し広げ、翌年には子孫を増やす。こうして野の草は命をつないで行く。
作者は一昨年来体調を崩し、最近は立ち居振る舞いが不自由になってしまったと、ご家族から連絡があった。ひと一倍行動力盛んで日本全国飛び回っていた作者にしてみれば、さぞかし無念なことに違いない。しかし、そのような状態であればこそ、こうした小さな芽生えに目をとめることができたのであろう。
(水 22.02.24.)