鳥たちと冬菜分け合ふ日和かな 大澤 水牛
鳥たちと冬菜分け合ふ日和かな 大澤 水牛
『季のことば』
寒さの募るこの時季、家庭菜園を楽しむ人たちは痛しかゆしの心境になるようである。冬菜はちょうど食べごろなのだが、餌に事欠く小鳥たちが、早朝から群れをなしてやってくるのだ。菜園の主にとって気になるのは、もちろん食べごろになった冬菜の方である。小鳥も可愛いのだが、時には心を鬼にして、追い払う立場にならざるを得ない。
作者はその状況を「冬菜分け合ふ」と詠んだ。選句側はこの言い回しに反応した人が多く、褒め称える人もあり、句会では高点句の一角に並んだ。しかし意地悪爺さん的な筆者(私)は「本心はどうなのか」と作者に問うてみた。返って来た言葉は「しょうがないなぁ、というところかな」。小鳥は追い払いたいのだが、「私は朝寝坊だから」と実情を述べていた。
我が家の小庭の場合、菜園の余地など全くなく、年中放置の状態だ。それでも小鳥たちが千両の種入りの糞を落として行くようで、実生の千両が赤や黄の実を付けるのだが、やがて小鳥の餌となり、いつの間にか消えていく。この状態を句に詠もう、とは思うが、結構難しい題材だ。「菜園なら詠めそうだが」などと時々、負け惜しみを呟いている。
(恂 22.02.15.)