天平の礎石に沿うて冬菫     星川 水兎

天平の礎石に沿うて冬菫     星川 水兎 『この一句』  日経俳句会1月例会に投句され好評を博した句である。「シンプルな措辞が良い。寒い風の中で健気に咲いている菫」(鷹洋)、「情景がスーッと、浮かんでくる」(而云)、「礎石と菫。悠久・りりしさ・健気が重なって来た」(健史)等々、冬ざれの史跡に健気に咲く冬菫に感銘を受けたという評が寄せられた。  「天平の礎石」というのだから、これは聖武天皇の勅で全国に作られた国分寺、国分尼寺の跡であろう。東京にもJR中央線に国分寺駅、西国分寺駅があり、史跡が公園になっている。  西暦700年代前半、遣唐使の一員として唐に渡った阿倍仲麻呂が唐朝廷で重きをなし、日唐交流促進に力を尽くしていた時と重なる。日本は先進文化を取り入れ飛躍的な発展を遂げた。奈良に巨大な大仏を据えた東大寺を作り、これを総国分寺とし、北から南まで国々に国分寺を建設して一大仏教王国を作った。武蔵国分寺に建立された七重塔は高さが60メートル以上あったという。周囲に建てられた金堂、講堂、僧堂など、切れ切れに残っている礎石を見るだけでも壮大な規模が偲ばれる。  菫は春の野山に咲く日本古来の野草で、「山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉」からもうかがえるように、小さいが人の心をしっかり捉え、ほのぼのとした思いを抱かせる。古寺の礎石の連なる際に根を生やし、石の温もりを味方にして冬の些中から咲き始めたのであろう。それを見つけた作者の喜びが伝わって来る。 (水 22.02.04.)

続きを読む

予報士のペンギン歩き凍る道   大平 睦子

予報士のペンギン歩き凍る道   大平 睦子 『この一句』  NHKの連続テレビ小説で昨年放映された「おかえりモネ」は、気象予報士の女性が主人公となっていた。気象予報の会社に就職したモネが、震災体験を乗り越えて成長していく物語だが、番組の中で予報士の仕事が詳しく紹介され、興味深かった。番組では、新米予報士のモネが最初に屋外の中継キャスターを担当する。スタジオの呼びかけに答えて外の気温や空模様をリポートする、いわゆる「お天気姉さん」の役だ。簡単そうに見えるが、短い時間に天気の状況を分かりやすく伝え、視聴者に役立つ豆情報を提供するには知識と工夫が要る。 東京を中心にかなりの雪が降った1月6日は、テレビ各局の気象予報士が申し合わせたように、雪道でのペンギン歩きを紹介していた。作者もそれを見て句に仕立てたのであろう。雪道で転ばないためには、歩幅を狭くして、靴裏全体で接地してすり足で歩く。両手でバランスを取ってソロソロ歩く姿は、確かにペンギンそっくりである。中には歩き方を実演してみせるキャスターもいた。掲句はその姿をリズムよく詠んで、笑いを誘う。ユーモアたっぷりの句だが、雪国育ちの作者は、故郷では誰もがやっていることを、番組でことさら強調する東京人のひ弱さを笑っているのかも知れない。 (迷 22.02.03.)

続きを読む

七つの子巣立って老いた寒鴉   中沢 豆乳

七つの子巣立って老いた寒鴉   中沢 豆乳 『季のことば』  「寒」を冠した季語がたくさんある。「寒の入」に始まって「寒四郎」「寒九」、「寒風」「寒の水」から「寒見舞」、そして動植物にも及んで「寒梅」「寒椿」「寒鮒」等々切りがない。暖房器具は火鉢と炬燵に囲炉裏といった時代の「寒」は、現代人が考え及ばない、強烈な印象をもたらす試練だったのだ。  そうした寒の厳しさ、凄まじさを感じさせるものの一つが「寒鴉」である。枯枝にじっと止まって動かない鴉は寂寥感の象徴でもある。同じ寒の季語に「寒雀」「ふくら雀」があるが、これはもふもふと羽毛を膨らませ「暖かみ」を感じる。これに対して寒鴉には限界の厳しさがある。  この句はそういう寒鴉を見つめながら、そこに己の姿を投影しているようにも思える。寒鴉は痩せて老いさらばえている。そのまま凍死してしまうのではないか。「七つの子が巣立って、もう思い残すことはない」とつぶやいているようにも見える。  万葉時代の詩歌の作り方の一つに「寄物陳思」というのがある。元は恋する思いをモノに託して詠む手法だったが、その後、恋歌にとどまらず、心情をものの様子を述べることで表す隠喩法として流布し、俳句にも伝わった。  功成って現役を卒業するのだが、一抹の寂しさが漂う、といった心情を詠んだ句ではないのかと感じ取って一票を入れた。句会で作者名が明らかにされると、ずばりそれは当たっていた。しかし、寒鴉は実は極めて旺盛である。じっと次をねらっている。作者にもそのたくましを願う。 …

続きを読む

ウイスキー追って胃の腑へ寒の水 徳永 木葉

ウイスキー追って胃の腑へ寒の水 徳永 木葉 『季のことば』  今年は正月明けの5日から寒に入った。20日に大寒を迎え、2月3日の節分までの約ひと月が寒の内だ。暦通りの寒い日が続き、寒中見舞いの葉書が届いたりする。寒中に汲んだ水を「寒の水」といい、霊力があり薬効があると尊ばれたそうだ(「寒」および「寒の水」は、当サイトの「水牛歳時記」に詳しい)。確かにただの水道水も寒中に飲むと、なんとなく背筋が伸びる気がする。「寒の水」の兼題に投句された内容は、飲用水派と米を研いだり、手水を使ったりの飲用以外派に別れた。掲句の作者はウイスキーをストレートで飲み、チェイサーとして寒の水を添えている。  ウイスキーなどアルコール度の強い酒を飲むときに、追いかける(chase)ように飲むのがチェイサーだ。若いころ、先輩に連れられて入ったバーで、チェイサーという言葉を初めて聞いた。意味を尋ねたら「カーチェイスと同じで、追っかけるという意味」だと言う。ちょうどその頃、「フレンチコネクション」という映画で、凄まじいカーチェイスを観たばかりだったので、妙に納得した覚えがある。  「追って胃の腑へ」の措辞がこの句の魅力で、ウイスキーを追いかけて寒の水が胃へと注がれる様が、実感を伴って伝わる。今は居酒屋で焼酎を好む作者だが、かつてはカウンターに留まってウイスキーをダブルで、というスタイルだったのだろう。 (双 22.02.01.)

続きを読む