老人の祈り短し初詣 大澤 水牛
老人の祈り短し初詣 大澤 水牛
『合評会から』(日経俳句会)
明古 欲しいものはなく、願いといえば無事と健康となってきましたので、共感します。
雀九 自分を読まれたようです。手を合わせエーと何だっけ、「家内安全」。
てる夫 年寄りに神仏にお願いすることは多くはない。早い人は一言で済むかもしれない。
水馬 人生の達人の祈りは多分「神様ありがとうございます」くらいでしょう。
阿猿 煩悩から解放されたのか、単に気が短くなったのか。そこはかとない諧謔。
十三妹 もう何事も運命のしからしむるところ。祈りも短くなりますね。
二堂 確かに自分もお祈りは短くなりました 。
芳之 私も家族の健康を祈るだけですが、五歳上の妻は欲張りなのか長かったです。
明生 確かに歳をとってくるとお願い事は少なくなります。ユーモアを感じさせる句です。
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作者は、「おしなべて老人の祈りは若い人たちに比べて短いように思います。若い頃、年寄りから『神様には願い事なんかするもんじゃない。お守りくださって有難うございます、と言えばいいんだ』と言われたことが頭の片隅に残っています」と自句自解している。年輪を重ねて来たゆえの豊かさを感じさせる句である。こういう年の取り方を自分もしたいとつくづく思う。神様だって、たった百円であれこれお願いされても困ってしまうだろう。
(可 22.01.02.)