日記買ふ良い事ばかり書きたくて 嵐田 双歩
日記買ふ良い事ばかり書きたくて 嵐田 双歩
『この一句』
季語は「日記買ふ」。ただの「日記」ではなく、「日記買ふ」の成語で季語となっている。年末近くになると、文具店や書店の店先に日記・手帳・カレンダーなどが山積みされ、それらを買うことが、新年を迎える用意の一つに数えられるからであろう。
それなら「手帳買ふ」も歳時記にあっても良さそうなものだが、今のところ「手帳買ふ」はほとんど採用されていない。手帳がただの小型の帳面だった頃のことで、ダイアリー手帳が主流の今なら、「手帳買ふ」も問題なく季語として通用するのではないだろうか。もっとも、筆者などはスマホとタブレットに頼りっきりで、日記も手帳も使わなくなり、まったく情緒も季節感もない生活に堕してしまっている。
去年も今年も新型コロナに振り回された一年だった。この句は、来年こそコロナが退散して、どこへでも出かけられて、誰とでも気楽に会える、そんな平穏な年であって欲しい、という願いを込めた句ではないかと勝手に解釈した。「良い事ばかり書きたくて」という、口語でやや散文に近い、心情を素直につぶやいただけのような表現が、読み手の共感を引き出すのにとても効果的に使われている。本当にそんな年になって欲しいものだとつくづく思う。
(可 21.12.28.)