牡蠣の身のなまめく光すすりけり 流合研士郎
牡蠣の身のなまめく光すすりけり 流合研士郎
『合評会から』(日経俳句会)
豆乳 自分は乳白の裸体、と詠んだ。が、この句のほうがセンス良くおしゃれだ。
水牛 牡蠣のなまめかしさの、すれすれを詠んで成功している。
守 新鮮でつややかな牡蠣をなまめく光、としたのが良い。
三代 生牡蠣のつるんとした感じをなまめく光とは。うまい。
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生牡蠣はなんとも言えずエロチックである。これをためらいなく、「なまめく光すすりけり」と言い切ったところに感嘆した。この感覚と措辞は素晴らしい。
牡蠣はなんとも形容し難い姿をしている。ちょっとくらい叩いただけではびくともしない厚い鎧のような貝殻に覆われている。慣れないと蓋をこじ開けるのも大変だ。しかし、熟練の牡蠣剥きのおばさんが無造作に金具を挿し込むと、分厚い殻がぱっと割れて姿を現す。
外套膜というのか、黒い縁取りの唇弁と、それに続いてぷっくりふくらんだ身が横たわっている。その色は、決められた言葉で言うなら「乳白色」というのだろうが、どうも正確に言い当てる言葉が無いような感じである。ぱかっと開けられたばかりの、ふくよかな身が息づいている牡蠣を見ると、私はゴヤの「マハ夫人」を思い浮かべる。
推測するに、作者も恐らく似たような思いにかられて身をすすりこんでいるのではないか。なんとも夢幻の世界に遊ぶが如き一句である。
(水 21.12.08.)