冬蝶と日に三本のバスを待つ 谷川 水馬
冬蝶と日に三本のバスを待つ 谷川 水馬
『この一句』
バス旅をするテレビのバラエティー番組がある。異なる局が同工異曲の作りで放映しているが、それなりに人気があるようだ。昭和へのノスタルジーとばかりとは言えない。バス旅など、時間がマネーのこの世の中では大いに敬遠されそうだが、のんびり気まま旅などできない〝おいそが氏〟らに憧れをもって観られているのだろう。番組ではバスの運行も疎らな田舎旅がおおよその舞台となっている。困り果てる出演タレントたちを観て、ドキドキかたがた応援するという趣向である。それにしても日に三本しかバスが来ない停留所など田舎も田舎だ。
余談が長くなった。作者の舞台設定はその過疎地のバス停である。日に三本の時刻表はもちろん織り込み済み。バス到着まであとどのくらいあるのか知らないが、句全体を流れるのんびり感がいい。そんな所のバス停にベンチ付きの待合があるのか、立ちん坊で待つのか、こんなどうでもいいことまで気になる。いま作者の周りに冬の蝶がいる。どこで羽を休めているのだろうか、これも読者の想像に任せている。兼題に出たとはいえ、「冬蝶」の季語は動かない。夏蝶ならひらひら忙しく舞っているし、すぐどこかに行ってしまいそうだ。冬蝶の緩慢さが「バスを待つ」に呼応する。句座の誰かが言っていたように「冬蝶や」でなく「冬蝶と」と言ったのがこの句の命と思う。
(葉 21.11.24.)