病むこともまた生きること暮の秋 斉山満智
病むこともまた生きること暮の秋 斉山満智
『この一句』
一読した時は、えらく強気で前向きな人だなと思った。しかし何度か読み返すうちに、病気になったのを機に人生を見詰め直した句ではないかと考え、票を投じた。
まず季語の選択である。「暮の秋」は「秋の暮」と混同されやすいが、秋がまさに終ろうとする頃をいう。単に晩秋の意味でこの季語を使ったのかも知れないが、病を得た作者が自らの人生に暮の秋を感じて選んだように思われる。病気になると誰もが不安になり、来し方行く末に思いを巡らすことが多い。病気という深刻な状況に、付き過ぎと思える季語をわざわざ取り合わせたのは、作者の思い入れに他なるまい。
次に「病むこと」と「生きること」をつないでいる「また」に込められた意味である。作者は病みついて改めて人生を振り返り、未来を見つめた。病気になったことも人生の一部である。生きることの裏に病気がひそみ、病むことの後ろには生への希望がある。コインの裏表のように感じられたのではないか。句会では「人生訓のようだ」との声もあったが、病床で見つけた生きる意味が、「また」に込められているように思う。
作者は今年家族を亡くされ、そのストレスもあって病を得たと聞いた。命にかかわるような病気ではないらしいが、闘病中の作者の心の葛藤がうかがえる句である。
(迷 21.11.15.)