手術後の妻の手温し秋日和 塩田 命水
手術後の妻の手温し秋日和 塩田 命水
『この一句』
解釈が分かれた句である。手術を受けたのは作者本人か、妻かと迷ったわけだ。上五で切れば手術を受けたのは作者だし、上五中七を続けて読めば妻が対象となる。俳句は自分自身のことを詠むのが本来だから、妻の手が暖かく感じたのは作者だと場の多くの人が読み取った。それでも判断に迷う句友もおり、筆者自身も「はてどちらかな」と思ったしだいである。どちらに解釈したら俳句として、より読者に響くのかと考えさせる材料を提供してくれた一句だと言える。
筆者の結論を先に言えば、どちらと解釈しても夫婦の情愛がこもった佳句だと思う。真意を求めるなら作者に直にあたるのが早くかつ間違いない。合評会の場でもちろん目の前のご本人に確認した。大方の読み通り手術を受けたのは作者であった。正解した面々さすがである。作者は目を手術したという。麻酔覚醒後の体温がやや低くなり、手術室の温度の低さもあってか手が冷たくなったと言う。妻の手に触れると(手術室を出てぎゅっと握りしめ合ったのかどうかは知らない)温かった。その状況を詠んだと披露した。折からの「秋日和」が手術の無事終了を示唆しているようだ。ただ、「秋日和」と「温し」が重なるので、別の季語がふさわしいのではとの声もあがった。しかし秋の日の温さより、妻の手の温さが勝っているのは疑いをはさまない。
(葉 21.11.11.)