秋灯をホームに残し終電車    石黒 賢一

秋灯をホームに残し終電車    石黒 賢一 『この一句』  「映画のシーンのような映像感がある」というコメントがこの句にあった。その通りだ、と頷きつつ考えた。しかし、句の作者の立ち位置はどこに在るのだろうか。ホームに立ち、去って行く終電車を見送っているのか。それとも電車の最後尾に居て、次第に遠ざかっていくホームの秋灯を眺めているのだろうか。  私は句を見た時、何ら疑うことはなく、電車の最後尾に居る自分を思い浮かべた。客室と車掌室の二枚のガラスを通して、ホームの全景が見えている。電車はゆっくりとホームを離れていく。ホームの後方に立つ電柱の灯りがだんだん小さくなる。いま私は、あの灯りをホームに残し、この田舎町を離れて行くのだ――。そんな風に解釈した。  私と違う解釈もあった。「終電車の出た後のホームの余韻がうまく切り取られていると思います」(久敬)。このコメントはホームに居るからこそのもので、言われてみれば「なるほど、これもある」と思う。作者は駅のホームのベンチに座って遠ざかって行く終電車を見送り、ホームに残された秋灯を見つめていることになる。   解釈に二通りがあり、どちらが正しいとも言えない。俳句にはこんなケースもあるのだ、と改めて思った。 (恂 21.11.05.)

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