故郷の匂いの籠る刈田かな    宇佐美 諭

故郷の匂いの籠る刈田かな    宇佐美 諭 『この一句』  都会から地方へ出かけて行き、刈田を見渡したとしよう。何度か見ているので、大きな驚きはない。「刈田は大体こんなものだ」という思い込みがあり、さほどの感興も覚えない。広々としている。日が当たっている。おや、鴉が飛んできたな。そのような印象によって句を作ってしまう。しかしその奥もありますよ、とこの句は教えてくれた。  福島生まれの人がこんな風に話していた。「確かに田んぼには特有の臭いがある。田おこしから刈田の頃まで、長い間、何とも言えない臭いがあって、あれが田舎臭さというものなのかなぁ」。嫌な臭いではないという。しかし「匂い」と表記するほどでもなさそうで、農業に身近な人びとにとっては、お馴染みの、と言うべき臭いなのだろう。  農業など各分野から生まれた多くの季語がある。句を作る側はそれらを歳時記で調べ、ネットで最近の情報なども集めたりする。句作りに限れば、それで十分としよう。しかし句会に出れば、もう一つの重要な仕事が待ち構えている。例えば掲句に漂う田の臭いを感じられるかどうか。つまり、その句を選ぶ力があるかどうかだ、と私は思った。 (恂 21.11.18.)

続きを読む

秋の灯にぼやきぼやかれ老いふたり 河村有弘

秋の灯にぼやきぼやかれ老いふたり 河村有弘 『季のことば』  秋の夜長を照す電灯は空気が澄んでいるせいか、他の季節と比べてぐんと際立って見える。日が落ちると空気はひんやりした感じになり、精神も爽快になる。たまには本を読んでみようかという気にもなるし、無沙汰続きの人に手紙でも書こうかと机に向かったりする。時には大ぶりのぐい呑みを手に、ひとりしみじみしたくなる。そうした気持を抱かせるのが「秋の灯」であろう。  さらに「秋の灯」には「懐かしい」とか「物思い」とかいう感じがつきまとう。日暮れが早くなり、家路をたどる足取りはついつい早くなる。春でも夏でも毎夕たどる道でありながら、秋の灯が灯った家を目ざす気分には独特なものがある。家の中でも秋の灯は特別な感懐をもたらす。昔のことがとりとめなく浮かんで来たりするのだ。とどのつまり、「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」「それにしてもこの人は・・」等々、この句のようなことになる。  ただしこの句には救いがある。老夫婦お互いに「ぼやきぼやかれ」合戦を展開しているというのだから、あっけらかんとしたものだ。これがしんねりむっつり、会話の途切れたままの夜長の秋灯下では陰々滅々、居たたまれないだろう。  ぼやきぼやかれるタネはジイサンが若気の至りで蒔いた数々の悪行にあることは確かである。しかし、バアサンの方もそれを昔ほど青筋立てて言い募ることはない。これが互いに「枯れてきた」ということなのであろう。 (水 21.11.17.)

続きを読む

吟行の軽きシューズや翁の忌   今泉 而云

吟行の軽きシューズや翁の忌   今泉 而云 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 「翁の忌」と取り合わせるのに「ウオーキングシューズ」という新しい言葉を持ってきたのがいいですね。軽快さも感じる。 双歩 現代的な「翁の忌」の句だと思いました。新しさを感じます。 水馬 (メール選評) 先日の久しぶりの吟行、十月半ばに深川の芭蕉ゆかりの地を訪ねた楽しさが詠まれていると思います。 而云(作者) 最近は通勤にもウオーキングシューズをはく人が多いですね。軽いのですよ。           *       *       *  俳句の世界で「翁」と呼ばれるのは芭蕉である。芭蕉は「おくのほそ道」や「野ざらし紀行」などに見られるように、よく旅をした。そして句に仕立てた。西に東に歩き回るとなれば、足元をしっかりさせる必要がある。ところが、芭蕉の時代は草鞋が中心だった。「年暮れぬ笠きて草鞋はきながら」の句が、それを表している。打って変わって現代は、科学技術の進歩によって、軽く柔らかく、少々の雨に降られても大丈夫、さらにはクッション性に優れ、体を前へ前へと進めるような靴まで登場している。歩きやすく、疲れにくい。何とも有難い、幸せなことである。 (光 21.11.16.)

続きを読む

病むこともまた生きること暮の秋  斉山満智

病むこともまた生きること暮の秋  斉山満智 『この一句』  一読した時は、えらく強気で前向きな人だなと思った。しかし何度か読み返すうちに、病気になったのを機に人生を見詰め直した句ではないかと考え、票を投じた。  まず季語の選択である。「暮の秋」は「秋の暮」と混同されやすいが、秋がまさに終ろうとする頃をいう。単に晩秋の意味でこの季語を使ったのかも知れないが、病を得た作者が自らの人生に暮の秋を感じて選んだように思われる。病気になると誰もが不安になり、来し方行く末に思いを巡らすことが多い。病気という深刻な状況に、付き過ぎと思える季語をわざわざ取り合わせたのは、作者の思い入れに他なるまい。  次に「病むこと」と「生きること」をつないでいる「また」に込められた意味である。作者は病みついて改めて人生を振り返り、未来を見つめた。病気になったことも人生の一部である。生きることの裏に病気がひそみ、病むことの後ろには生への希望がある。コインの裏表のように感じられたのではないか。句会では「人生訓のようだ」との声もあったが、病床で見つけた生きる意味が、「また」に込められているように思う。  作者は今年家族を亡くされ、そのストレスもあって病を得たと聞いた。命にかかわるような病気ではないらしいが、闘病中の作者の心の葛藤がうかがえる句である。 (迷 21.11.15.)

続きを読む

秋灯下終の棲家のチラシ読む   印南  進

秋灯下終の棲家のチラシ読む   印南  進 『この一句』  「秋灯」という季語のもたらすうら寂しい感じを、「終の棲家探し」という極めて今日的課題を取り合わせることによって鮮やかに示した。  昔のように息子夫婦が老年の両親と一つ屋根の下に暮らす生活形態はほとんど無くなった。子供は大概、結婚と同時に親元を離れ新生活に入る。子離れした両親は、やがて職も退いて第二の人生を歩み出す。昔なら60代後半から70代前半の老夫婦は猫と一緒に離れにでも引っ込んでの隠居暮らしが普通だが、今やここからが第二の人生充実期とばかりに「我が世の秋」を満喫する。  しかしそれも、70代後半ともなると、そろそろ「閉幕」のことを考えなくてはならない。自分も連れ合いも身体のあちこちがおかしくなりはじめた。どちらが先かは分からないが、遅かれ早かれ独りになることは間違いない。女房に先立たれたジジイの成れの果ては想像するだに恐ろしい。この一戸建ての住まいは婆さんと二人でローンを払いながら手にした愛着一入のものだ。さりながら、息子夫婦に孫まで呼び寄せて住まうには狭すぎる。「ここを売って、それを入居一時金にして医療や介護の整ったマンションに入ろうか」と老妻に語りかける。その種の施設のチラシやダイレクトメールが盛んに舞い込む。「ホントかな」と思わせるような「快適さ」ばかりが書かれている。  この句はずいぶん暗いことを詠んでいるのだが、至極平静。「どうしたものかなあ」などと、老眼鏡をメガネ拭きでこすったりしている、まだまだ余裕たっ…

続きを読む

「みんなの俳句」来訪者が16万人を超えました

「みんなの俳句」来訪者が16万人を超えました  俳句振興NPO法人双牛舎が2008年(平成20年)1月1日に発信開始したブログ「みんなの俳句」への累計来訪者が、昨日11月12日に16万人を越えました。これも一重にご愛読下さる皆様のお蔭と深く感謝いたします。  このブログはNPO双牛舎参加句会の日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会の会員諸兄姉の作品を中心に、日替わりで一句ずつ取り上げて「みんなの俳句委員会」の幹事8人がコメントを付して掲載しています。  このブログもスタート当初は一日の来訪者が10人台だったのが、徐々に増え始め、今では一日平均45人となっています。幹事一同、これからも力を尽くしてこのブログを盛り立てて参る所存です。どうぞ引き続きご愛読のほどお願いいたします。      2021年(令和3年)11月13日 「みんなの俳句」幹事一同

続きを読む

河豚のひれ青き炎の酒の中    徳永 木葉

河豚のひれ青き炎の酒の中    徳永 木葉 『この一句』  冬になると河豚刺や河豚鍋(関西では、てっさ、てっちり)が恋しくなる。お酒はひれ酒が定番だ。そのひれ酒、そもそもは、戦後の添加物混じりの不味い酒を美味しく飲む方法として生まれたという。漁師が熱燗を焼き魚の鰭でかき混ぜたら、意外に旨かったのが始まり、などの話も伝わっている。まあなにしろ、昔は二級酒を特級酒なみに変えてくれるとかで重宝がられたそうだが、今ではそういう意味合いはなくなって、ふぐ料理には付き物の独特なお酒として楽しまれている。  炙った河豚の鰭を普通の燗酒よりもっと熱々にした酒に入れ、蓋をする。飲む前に蓋を取ってマッチで火をつけアルコールを飛ばす。暗くしないと分からないような青い炎が立ち上る。こうすることで、マイルドな味になるそうだ。飲み終わったら、鰭の風味が残っている内に「つぎ酒」をもらう。〝イベント〟というか〝儀式〟というか、その独特な飲み方も人気の一つだ。  掲句はひれ酒の特徴を巧みに詠んでいる。中七下五と読み下すと確かにその通りなのだが、この言葉の運びはなかなか真似できない。句座には、その臨場感に生唾を飲み込む選者が、筆者も含め何人もいた。実に美味い、もとい、上手い句だ。 (双 21.11.12.)

続きを読む

手術後の妻の手温し秋日和    塩田 命水

手術後の妻の手温し秋日和    塩田 命水 『この一句』  解釈が分かれた句である。手術を受けたのは作者本人か、妻かと迷ったわけだ。上五で切れば手術を受けたのは作者だし、上五中七を続けて読めば妻が対象となる。俳句は自分自身のことを詠むのが本来だから、妻の手が暖かく感じたのは作者だと場の多くの人が読み取った。それでも判断に迷う句友もおり、筆者自身も「はてどちらかな」と思ったしだいである。どちらに解釈したら俳句として、より読者に響くのかと考えさせる材料を提供してくれた一句だと言える。  筆者の結論を先に言えば、どちらと解釈しても夫婦の情愛がこもった佳句だと思う。真意を求めるなら作者に直にあたるのが早くかつ間違いない。合評会の場でもちろん目の前のご本人に確認した。大方の読み通り手術を受けたのは作者であった。正解した面々さすがである。作者は目を手術したという。麻酔覚醒後の体温がやや低くなり、手術室の温度の低さもあってか手が冷たくなったと言う。妻の手に触れると(手術室を出てぎゅっと握りしめ合ったのかどうかは知らない)温かった。その状況を詠んだと披露した。折からの「秋日和」が手術の無事終了を示唆しているようだ。ただ、「秋日和」と「温し」が重なるので、別の季語がふさわしいのではとの声もあがった。しかし秋の日の温さより、妻の手の温さが勝っているのは疑いをはさまない。 (葉 21.11.11.)

続きを読む

二センチのサーモンステーキ旅の夜                 髙橋ヺブラダ

二センチのサーモンステーキ旅の夜 髙橋ヺブラダ 『季のことば』  「鮭」は秋の季語である。母川回帰の習性を持つ鮭が、太平洋を経巡って大きくなり、産卵のために日本各地の河川に戻るのが秋10月頃になるからである。これは秋鮭とも呼ばれるシロザケで、生鮭として流通する。同じ鮭でも塩鮭や新巻、乾燥して冬の常備食とした乾鮭(からざけ)は冬の季語になる。  一方、西洋料理のサーモンステーキに用いられるのはキングサーモンと呼ばれる1.5mにもなる巨大な鮭。北海道沿岸でも時々捕れ、マスノスケという。この句の作者はサーモンステーキをどこで食べたのか。北海道か。もしかしたら、北米やカナダの太平洋岸を旅行して味わったのではなかろうか。「二センチ」とわざわざ述べていることからすれば、厚さといい大きさといい、かなりびっくりさせられたということなのであろう。日本の「鮭の切身」を見慣れた身には、向こうのレストランで出されるサーモンステーキの大きさには度肝を抜かれる。  もう半世紀以上も前のことになるが、ボーイング社からジャンボジェットが出来上がったから初飛行に招待すると言われ、シアトルの工場に出かけた時の晩餐会で出されたサーモンステーキは二センチどころか二インチ(5センチ)くらいありそうで、半分食べるのがようやっとだった。日本人旅行者に馴れた今では、向こうのレストランも日本人は少食だからと少々薄手にしてくれたのかも知れない。しかし、二センチでも、輪切りのキングサーモンは野球グローブが出てきたかと思うだろう。長時間…

続きを読む

立冬のホットミルクに薄い膜   嵐田 双歩

立冬のホットミルクに薄い膜   嵐田 双歩 『季のことば』  立冬は二十四節気のひとつで、新暦では今年は11月7日にあたる。暦の上ではこの日から冬に入る。まだ秋の気配が濃いものの、朝夕は冷え込みを覚え、木枯らしが吹き始めたり、時雨がぱらついたりする。「いよいよ冬だという緊張感が、立冬という言葉にはある」(水牛歳時記)。  掲句はそんな立冬の朝の情景を語調よく詠んでいる。つい先日まで冷たいまま飲んでいた牛乳を、冷え込みを感じて温めて飲む。カップの表面に薄い膜が出来ているのを発見し、思わず句にした。見たままを素直に詠んだ写生句のように見えるが、意外に詠めそうで詠めない。言葉の選択や語順など工夫の凝らされた句と思う。  上五に立冬というやや硬い響きの言葉を選んでいる。立冬の傍題には「冬来る」や「冬に入る」もあるが、硬質な立冬を使うことで柔らかいミルクとの対比が際立つ。さらにホットミルクの中七も効果的だ。冬を迎えた緊張感をホットミルクの温かい語感が和らげる。これが「熱いミルク」では語調も悪く、読み手の心が温まって来ない。 語順も上手い。立冬という抽象的な概念に対しホットミルクの実物を提示し、薄い膜のクローズアップで終わる。薄い膜はミルクが文字通り「ホット」であることを示しており、息を吹きかけ飲んでいる作者が浮かんでくる。 (迷 21.11.09.)

続きを読む