熊眠るルシャの番屋の板目貼   中沢 豆乳

熊眠るルシャの番屋の板目貼   中沢 豆乳 『合評会から』(日経俳句会) 三薬 最初、クマが番屋で寝ている?うん?いやいや違う。そうだ!上五で切る。すると、景が見えてくる。ルシャは知床半島の海岸。その番屋の目貼を詠んでいる。 てる夫 知床半島のルシャ湾。昔、行ったのですが、その時は気づかなかったなあ。ルシャを調べて状況がわかると、いい雰囲気が伝わってきました。 明古 ルシャとはアイヌ語で「浜へ下りてゆく道」。知床半島のルシャ湾の番屋は、板を打ち付けて防風している。力のある句で、真っ先に戴きました。 朗 シベリア抑留をイメージした。 誰か クマ、ルシャ、番屋、板目貼、と。材料が多すぎなんだよナー。 而云 知床のルシャの番屋の板目貼、じゃあ駄目なの? 一同 うん。それが良い。すっきりしている。「の」を重ねて、リズムも良い。           *       *       *  私は常々固有名詞を句に使う時は、十人中半数以上が知っているものでないとうまくないと思っているので、「ルシャ」に引っかかって受け入れ難かった。しかし、作者の「ルシャ湾の鮭漁師大瀬初三郎さんはヒグマと共存している。ヒグマが人間の言うことを聞くというので有名になった。ここは冬になると氷が飛んでくるので、板で囲いを作る。冬眠する熊と板囲いが詠みたくて・・」という述懐を聞いて、己の浅はかさを知った。三薬さんの言うように、「熊眠る」で切れて「ルシャの番屋の板目貼」と続く、堂々たる一句である。 (水 21.1…

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道の辺に古りし馬塚翁の忌    嵐田 双歩

道の辺に古りし馬塚翁の忌    嵐田 双歩 『季のことば』  11月の兼題のひとつが「芭蕉忌」。10月に久しぶりの吟行で江戸情緒残る深川に翁の旧跡を訪ね句会をしたばかり。それだけにどんな新発想の句が登場するか、難しさのあるなか興味津々だった。とうぜん先の吟行の第二弾という句も出たし、翁自身にちなんだ句、大きく発想を膨らませた句など多彩であった。「時雨忌」「桃青忌」「翁忌」とも言い、自在に変えて詠める大きな季語だから、句友それぞれが情景と雰囲気に合わせて詠んでいた。好みを言えば「芭蕉忌」「桃青忌」はちょっと堅苦しい気がする。いっぽう「時雨忌」というのが即物的ではなく風趣があって好ましく感じる。  上に掲げた句は芭蕉句を踏まえた一句だ。「みちのべのむくげは馬に喰われけり」が本歌だとおのずと知れる。千葉ニュータウンに住む作者によると、近くに馬塚があるそうな。江戸幕府の牧があった地域で軍馬の放牧を行っていた歴史がある。電車賃がバカ高い北総鉄道に「印西牧の原」という駅があるが、駅名はその名残だろう。ネットで調べると、その昔平氏打倒へ挙兵し自刃した源頼政の首を馬が当地に運んできたという。その名馬を祀る石碑が残っている。作者は散策中にでもその名馬塚を見たのだろうか。手練れの作者ゆえ芭蕉句がすぐさま口をついて出た。「むくげ」ならぬ「馬塚」と季語翁忌が結び付いたとみた。本歌取りの句は付き過ぎては鼻に付くが、「馬に喰われたむくげ」と「古びた馬塚」はちょうどよい距離感を保っていると思うのだが。 (葉 2…

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住み古りて茸はえたる庭の隅   星川 水兎

住み古りて茸はえたる庭の隅   星川 水兎 『合評会から』(日経俳句会) 青水 ありのままを淡々と過不足なく詠んでいる。平凡に見えるが吟味した措辞がいい。 昌魚 我が家も築八十年の古くガタのきた木造あばら家なので、なんとなく納得です。 十三妹 マンション住まいには却って「いと風流」感。庭に茸なんていいなあ、羨ましいです。 双歩 なんだか訳のわからない茸が生えていることがありますよね。作者の実家のことですかね。           *       *       *  作者の住まいもマンション。それを知っている双歩さんは「実家のこと」と読み取った。しかし、作者の種明かしによると、マンションのベランダの鉢に茸が生えたのだそうだ。そこから実家の古寂びた庭へと思いが飛んだのだろう。  ところが私はどうしたわけか、この句をぱっと見た時に「家の隅」と読んでしまい、「古家で雨漏りがひどいのか、それにしても物凄いなあ」と、何とも言えない凄絶な感じを受けた。『雨月物語』や『怪談』に出てくるような、屋根の壊れた隙間から月光が射したり、畳が腐り床が抜けて・・といった情景が浮かんだ。  とんでもない読み間違いで作者には失礼したが、もちろん「庭の隅」でも結構な句だと思う。都内だって谷中や上野、千住、亀戸あたりにはこうした古屋敷がまだまだひっそり残っている。郊外ともなれば空家が激増している。庭中茸だらけの家がどんどん増えて来る。 (水 21.11.28.)

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朝の汁青菜ざくざく冬に入る   廣上 正市

朝の汁青菜ざくざく冬に入る   廣上 正市 『合評会から』(日経俳句会) 迷哲 語調が良いです。冬の朝の味噌汁の感じがよく出ている。 水兎 昔のお味噌汁のCMのようで。おいしそうな光景ですね。菜切り包丁の音が聞こえてくるようです。 ヲブラダ ざくざくが良いですね。 三代 「あ」の重なりがよく、声に出すとざくざくも小気味いいです。 方円 冬に入るの季語が効いている。 睦子 青菜の朝ごはんで食欲が出ます。            *       *       *  冬の朝の台所の景であろう。ホウレン草か小松菜か、冬場が旬の青菜を刻んで味噌汁を作っている。「ざくざく」の擬音が効果的で、野菜を刻む包丁と俎板、鍋たっぷりの味噌汁から立ち昇る湯気が浮かんでくる。三代さんご指摘のように「アサ・アオ・ザク」のア音の連なりがリズムを生み、朝の台所の忙しい雰囲気を醸している。  作者は退職後に神奈川県二宮に移住し、趣味の畑仕事に熱心に取り組んでいるという。「手を見つめ掌見つめ大根撒く」など農作業を詠んだ句も多い。冬野菜は寒さに耐えるため細胞に糖を蓄え甘くなる。丹精して育てた青菜の甘さに、冬の訪れを強く感じたのではなかろうか。 (迷 21.11.26.)

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見て楽し蕎麦にして美味たちあかね 竹居照芳

見て楽し蕎麦にして美味たちあかね 竹居照芳 『この一句』  一風変わった句である。「たちあかね」というものを知らないと何の感興も湧かないだろう。しかし、長野県上田市近傍のひなびた温泉のある青木村を知っている人だったらたちどころに合点印を打つに違いない。平成21年(2009年)に「農林認定品種」に登録された、まだ新品種と言ってもいい蕎麦「タチアカネ」を詠んだ俳句なのだ。青木村を貫く街道沿いに、この蕎麦粉で打った手打蕎麦を供する店が5,6軒できて、いずれもいつも満員という人気になっている。また、この蕎麦の実で作った焼酎がとても美味いと、これまた評判になっている。私は今ほどブームになる前の6,7年前に上田市在住の句友に連れられて食べて感心した。蕎麦の香りと味わいが強くて、素晴らしい。  蕎麦はとても丈夫で荒地にもよく育つのだが、茎が折れやすく倒れやすい。これは倒れる事によって種を少しでも広範囲に撒き散らし子孫を増やそうとする、荒地植物の習性のようなものなのだが、実を収穫する栽培農家にとっては厄介だ。ところがこの蕎麦はすっくと伸びて倒れにくい。そして真っ白な花が咲いた後、普通は緑の種をつけるのを、これは鮮やかな赤い実。この二つの印象的な性質をとって「タチアカネ」と名付けられた。  この句は、おそらく美味しい蕎麦を食べ、その花と実のついた茎を見せられ、感激して詠んだに違いない。青木村役場から感謝状が届きそうな句だが、旅の感懐をすっと詠んだところがとても好ましい。 (水 21.11.25.)…

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冬蝶と日に三本のバスを待つ   谷川 水馬

冬蝶と日に三本のバスを待つ   谷川 水馬 『この一句』  バス旅をするテレビのバラエティー番組がある。異なる局が同工異曲の作りで放映しているが、それなりに人気があるようだ。昭和へのノスタルジーとばかりとは言えない。バス旅など、時間がマネーのこの世の中では大いに敬遠されそうだが、のんびり気まま旅などできない〝おいそが氏〟らに憧れをもって観られているのだろう。番組ではバスの運行も疎らな田舎旅がおおよその舞台となっている。困り果てる出演タレントたちを観て、ドキドキかたがた応援するという趣向である。それにしても日に三本しかバスが来ない停留所など田舎も田舎だ。  余談が長くなった。作者の舞台設定はその過疎地のバス停である。日に三本の時刻表はもちろん織り込み済み。バス到着まであとどのくらいあるのか知らないが、句全体を流れるのんびり感がいい。そんな所のバス停にベンチ付きの待合があるのか、立ちん坊で待つのか、こんなどうでもいいことまで気になる。いま作者の周りに冬の蝶がいる。どこで羽を休めているのだろうか、これも読者の想像に任せている。兼題に出たとはいえ、「冬蝶」の季語は動かない。夏蝶ならひらひら忙しく舞っているし、すぐどこかに行ってしまいそうだ。冬蝶の緩慢さが「バスを待つ」に呼応する。句座の誰かが言っていたように「冬蝶や」でなく「冬蝶と」と言ったのがこの句の命と思う。 (葉 21.11.24.)

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ゴルフ終え鮭とばかじる列車かな  旙山 芳之

ゴルフ終え鮭とばかじる列車かな  旙山 芳之 『季のことば』  「鮭とば」は歳時記には載っていない。北海道や東北で、河口に押し寄せた鮭を取ったものを三枚に下ろし、皮付きのまま縦に棒状に切って紐のようにしたものを海水に浸けて寒風に晒す。すると紅色に透き通るきれいな鮭のスティックが出来る。もともとはアイヌの保存食用に作られたもののようだが、今では北海道はもとより東北各地から関東まで広まって酒のつまみとして人気が高い。大手スーパーやコンビニ、駅の売店では、ビーフジャーキーやサラミソーセージなどと並んで「つまみの定番」になっている。  というわけで、一年中ある「鮭とば」には季感が乏しく、季語として認められるかどうか、首を傾げるところがある。しかし一方で昔から、「乾鮭(からざけ)」という鮭の干物がある。大きな鮭のエラや内蔵を抜いたものを塩水に漬け、それを軒端にぶら下げてからからになるまで干したものである。これは江戸時代から北海道、東北、関東の、冬場の貴重なタンパク源として珍重された。芭蕉には「雪の朝独り干鮭(からざけ)を噛得タリ」という句があり、子規は「乾鮭の切口赤き厨かな」と詠んでいる。台所に吊るしておき、必要な分だけ切り取って炙って食べたり、酒浸しにしたり、汁に入れたりした。「鮭とば」も、この乾鮭の一種であることに違いはないから、冬の季語として取り上げても良いということになる。  晩秋初冬のサラリーマン・ゴルフ。帰りの電車の座席をくるりと回して四人のボックス席にしてくつろぐ。「おう、今年…

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籠り明け手締め高々一の酉    徳永 木葉

籠り明け手締め高々一の酉    徳永 木葉 『合評会から』(酔吟会) 春陽子 去年はコロナでこんなことが出来なかった。待ちに待った一の酉という感じがよく出ています。 鷹洋 「良かったねえ」という喜びが伝わってくる句です。私も酉の市を詠みましたが、こちらに点を取られました。 てる夫 「手締め高々」に惹かれて採りました。 双歩 他にも緊急事態宣言が解除された喜びを詠んだ句がありましたが、思わず同調し、共感してしまいます。「手締め高々」が明るい感じでいいですね。 水牛 むかし酉の市吟行に行ったとき、五百円の熊手を買って「どうして手締めをしてくれないの」という女性がいました。店の人も「しょうがねえなあ」と言ってやってくれた思い出があります(笑)。           *       *       *  いかにも令和三年初冬の歓びを感じさせる一句である。歓びというのは他でもない。昨年の春頃からのコロナウィルス跋扈による外出規制などが緩和され、賑わいが戻ってきたことだ。となると「ゴーツートラベルの再開を」などと言い出す向きがある。しかし個人的な旅行費用の助成など余計なことだ。税金の無駄遣いではないか。何よりもこのままコロナ退散となることを望みたい。 (光 21.11.22.)

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帰りたい病床十日冬に入る    大平 睦子

帰りたい病床十日冬に入る    大平 睦子 『合評会から』(酔吟会) てる夫 さっき白山さんから退院したとの電話がありましたが、十日も入院していれば嫌になるだろうなというのがよくわかります。身に沁むような話です。 而云 ぼくも白山さんのことを少し思いましたが、他でも周りに十日くらい入院している人が何人かいて、帰りたい気持ちになるだろうなあと思いました。 鷹洋 白内障の手術で三泊四日入りましたが、三泊四日でもたまらん気持ちになりました。十日なんてとんでもないことです。 誰か (作者が睦子さんとわかって)あの人は膝を手術されると言っていたなあ。これは実話なんだ。           *       *       *  「白山さん」というのは句会常連の古参会員。突然、大腸憩室症というのが起こって入院していたが、句会の席上に「ただいま退院しました」と電話が掛かってきたので、合評会はそれとごっちゃになった。会員の高齢化が進み、入院とまでは行かないまでも、それぞれ何らかの問題を抱えているから、こういう句を見ると思わず一票投じてしまう。  この句は何と言っても冒頭の「帰りたい」が効いている。そして、続く中七で「病床十日」と来れば、誰しも「ごもっとも」と思う。そして、季語の「冬に入る」が絶妙な働きをしている。 (水 21.11.21.)

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秋寒や妻にふえたる独り言   玉田 春陽子

秋寒や妻にふえたる独り言   玉田 春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 女房が急に独り言が多くなったら、何か悪いことの予兆かと心配になります。 水牛 わが家内も独り言が増えたり物忘れが激しくなって、診察してもらったら、認知症の初期だと言われ進行を遅らせるための体操などしています。身につまされる句です。 双歩 確かに心配です。お大事にとしか言いようがない。 迷哲 「秋寒」が効いていて、怖いような、寂しいような感じがしますが、一方で、作者の優しさもにじんでいる句です。 而云 一人暮らしとか、歳をとってから、独り言の多くなる人は結構いますね。 斗詩子 冬支度でやることが一杯あって奥様は大忙し。「どうせ旦那様は手伝ってくれそうもないし・・・」ぶつぶつ言っている奥様の気持ちがわかります。           *       *       *  男性陣は揃って病いの予兆のようなものを感じている。紅一点の斗詩子さんだけが、この「独り言」は忙しさや旦那に対する不平から来る愚痴のようなもの、日常茶飯事だと捉えている。作者によれば、斗詩子さんの解釈がドンピシャらしい。  男性陣の解釈の原因は「秋寒」だろう。これがやがて来る冬を想起させるのは自明である。「小春日の妻にふえたる独り言」だったら間違えなかったに違いない。しかし、それではこんなに点を集めることもなかっただろう。いずれにせよ、世の中の男たちはみんな、女房にもしものことがあったらという内心の不安に怯えていることの証左である。…

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