静かなり白磁の皿の黒葡萄   藤野 十三妹

静かなり白磁の皿の黒葡萄   藤野 十三妹 『合評会から』(日経俳句会) ヲブラダ 静物画の情景に、「静かなり」とあえて表現されると、凛とした気持になります。 守 モノクロームの世界、静謐感が伝わってきます。実景なのか静止画を見ながら詠まれたのか。 ゆり 「静物画」そのものだとは思うんですが、絵にも、詩にもなるってことですね。巨峰を前にすると、少し気構えてしまいます。 定利 中七、下五はすごくいい。「静かなり」は結果です。結果は云わないで、何かほかのことを……。           *       *       *  まさに額縁に納まったような句である。白い皿に大きな黒い葡萄が一房載っている、ということを詠んだだけである。しかし、白と黒の鮮烈な対比が読者の脳裏にくっきりと刻まれ、葡萄の存在感がありありと浮かび上がってくる。物音の全くしない空間の白磁と黒葡萄。それを「静かなり」とあえて言い切った。  失礼を省みず言えば、この作者は人を驚かすような奇矯な句を詠んで、そのとおり皆が驚けばしてやったりと快哉を叫ぶといったところがある。それが一転、こうした正当派の格調の高い句を投じる。しかし、こうして褒めると、これまた「大向うを唸らせるのなんぞ至極簡単なのよ」と、大好きなお酒を呷りつつ呵々大笑するに違いない。 (水 21.10.07.)

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秋の暮駆け戻りたきふるさとへ  向井 ゆり

秋の暮駆け戻りたきふるさとへ  向井 ゆり 『この一句』  テレビ東京で人気の「出没!アド街ック天国」は、ある街を詳細に紹介する情報番組だ。最近、その番組で作者の故郷・君津が取り上げられたという。それを観ていた作者は「思うように帰れないもどかしさもあって、たまらなく感傷的に」なったそうだ。今の住まいから実家へはさほど遠くない距離だが、県をまたぐ移動は控えるように、という緊急事態宣言中はおいそれとは帰れない。単に「帰りたい」を通り越して「駆け戻りたき」ほどの望郷の念。この句を選んだ人それぞれが自らを重ね合わせていた。  一方、同じ句会の「林檎むく正座の母のなつかしき」という木葉さんの作品も人気があった。こちらも同じように、母恋し、ふるさと恋しの望郷の詩だ。木葉さんの故郷は遠く、北海道。句からは、常に正座を崩さなかった毅然とした立ち居振る舞いの女性が浮かび上がる。さらには、そんな母が居た生家のイメージも。  先日、当欄で紹介された「故郷は釣瓶落しの海の果て」の作者迷哲さんも、コロナ警戒もあり2年近く故郷・佐賀に帰ってない、とコメントしていた。そういえば、筆者も長いこと故郷(福岡)に帰っていない。  暑い夏が終わり、秋風が心地よい季節を迎えると、誰しも故郷が恋しくなる。釣瓶落しの秋の夕暮どきは、一入だ。 (双 21.10.06.)

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別所線に案山子百体新風景    堤 てる夫

別所線に案山子百体新風景    堤 てる夫 『この一句』  別所線は、北陸新幹線の上田駅と北向観音に近い別所温泉駅を結ぶ上田電鉄の路線である。全長11.6kmほどのローカル線で、大方の人は名前を聞いてもピンとこないだろう。しかし「2019年、台風19号で千曲川に架かった赤い鉄橋が落ちて…」と言えば、思い出す人も多いのではないか。その復旧がなったのは今春のことだった。  その沿線に突如、百体もの案山子が出現したというのだ。「正確には130体」という説も聞いた。いずれにせよ、どんな格好の、どんな表情の案山子なのだろうか。草取りに励んでいる女、稲架を組んでいる男、一休みしてお茶を飲んでいる一家など、様々なものが想像される。ウォーキングラリーさながらに、それらを眺め歩きたい。  案山子を活用したイベントには、数年前に奈良で出合った。高松塚古墳のある所から奥へ入った所で、雨催いのせいもあり、タクシーで見て回った。百体はなかったと思うが、「柿食えば…」の柿が随所に光っていた。上田の場合、果物となれば葡萄や林檎だろうか。特産品には松茸もある。今年が開業100周年という別所線で、洋装あり和装ありの案山子に会ってみたい。 (光 21.10.05.)

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知っている花の名少し大花野   嵐田 双歩

知っている花の名少し大花野   嵐田 双歩 『合評会から』(酔吟会) 三薬 私なんかもほとんど知りません。教えてもらってもすぐ忘れてしまう。気分良く歩ければ、それで十分。 てる夫 そうだねえ、と誰もが思う一句です。 水牛 秋草は地味で、名前のわからないものばかり。でも、それぞれ可憐な花を咲かせている。それを一つ一つ見ながら歩く。いつまでたっても向こう端に行き着かないと連れに急かされる。 水兎 本当に、いつもそう思います。大澤さんに教えられて、少しずつ花の名を覚えましたが、まだまだ教わらなければと思います。 ゆり たまにバラとカーネーションの区別もつかない方がいらっしゃいますが、そもそも見ていないんですよね、花を。           *       *       *  この句を採らなかった理由がわかった。あまりにも図星だったからである。人は己の弱点を指摘されるとそこから逃避したくなる。それくらい花の名を知らない。とくに、ゆりさんの評は耳に痛い。さすがにバラとカーネーションの区別はつくが、「見ていないんですよね、花を」はぐさっと刺さる。最近、マリーゴールドがわかるようになって連れ合いに褒められた。これはひとえに“あいみょん“のおかげである。  この句には「ハナノ」の音が二つある。心地よいリフレイン、隠し味である。 (可 21.10.04.)

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野分晴海の上ゆくモノレール   星川 水兎

野分晴海の上ゆくモノレール   星川 水兎 『合評会から』(日経俳句会) 明古 野分晴の、眩しい空と海の間を走るモノレールに乗っている。気分も爽快だろう。 芳之 青い空と海をバックに走るモノレールが誇らしげに感じられます。 守 台風一過の青い空が目に浮かびます。           *       *       *  海に囲まれ島も多い日本だから、海上モノレールは各地にあるのだろうが、句を見た途端私の脳裏には東京モノレールが浮かんだ。昭和39年(1964年)9月、東京オリンピックで外国人客が押し寄せるのを当て込み、浜松町駅と羽田空港を結ぶ日本初の本格的モノレールが開通した。当時、航空担当記者として羽田通いをしていたから、試乗会に始まって、このモノレールにはお世話になった。  しかし、オリンピック開催前後こそ大賑わいだったこのモノレールも、その後はガラガラになってしまった。2両連結の車両に乗客は私一人ということもあった。浜松町から羽田まで片道250円という高額乗車賃がネックになったのだ。JR(当時は国電)の初乗り運賃が20円、タクシーが100円、ラーメンが50円の時代である。一時はあわや倒産と言われたが何とか持ち直し、今では隆盛を誇っている。  浜松町を出発するとまもなく左手に海が見える。視界がぱっと開けて、野分晴れの朝などまことに気持がいい。この句は身も心も晴れ晴れの気分をストレートに詠んでいる。 (水 21.10.03.)

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鞍はずす駱駝に釣瓶落しかな   谷川 水馬

鞍はずす駱駝に釣瓶落しかな   谷川 水馬 『この一句』  番町喜楽会の9月例会に「釣瓶落し」の兼題が出された。秋の日暮れの早いことを表す季語で、「秋の日は釣瓶落し」の慣用句に由来する。兼題を出した大澤水牛氏の解説によれば、江戸の昔から使われた言葉だが、季語となったのは新しく、昭和になって山本健吉が提唱してからという。 釣瓶井戸を使ったことのある昭和世代には郷愁を誘う季語だが、いかんせん6音で使い勝手が悪い。この6音をどう句の中に無理なく収め、夕陽の景と組み合わせるか、結構苦しんだ。  掲句は釣瓶落しに詠嘆の「かな」を加えた8音を使いながら、残る9音で駱駝を登場させ、砂漠の雄大な夕景を描くことに成功している。ことに上手いのは冒頭の「鞍はずす」という表現。これにより駱駝が長旅か仕事を終えて夕方に戻ってきたことが分かる。駱駝と鞍とくれば砂漠が連想され、「釣瓶落しかな」と響き合って、駱駝が越えてきた砂漠に沈む大きな夕陽が見えてくる。  句を読んで、シルクロードを描いた平山郁夫の絵が浮かんできた。句会では同感の声もあったが、「平山郁夫の絵を思い出して逆に採れなかった」(可升)という意見もあった。絵と句のイメージが近くて、描かれた世界を句でなぞったように感じられたのかもしれない。しかし「鞍はずす駱駝」には確かな生活感がある。作者は句に詠まれた光景をどこかで目にしたに違いない。 (迷 21.10.01.)

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