売りに出す終の住処や冬隣    岡田 鷹洋

売りに出す終の住処や冬隣    岡田 鷹洋 『この一句』  日経俳句会の10月例会で最高九点を得た句だが、合評会で一番議論を呼んだ句でもある。終の住処と思って暮らしてきた家を、何らかの事情で売りに出さざるを得なくなった。住み慣れた家を手放す淋しさが季語と響き合っている佳句と思った。「終の住処の住人はすでにいなくなったのか。肌寒さの増す季節に家を手放すのは寂しさもひとしおだろう」(阿猿)など、家を売るという状況に冬隣の物悲しさを重ねて点を入れた人が多い。  これに対し採らなかった人から「オレらの年で家を売るのは重いこと。それをどうして句にしたのか」(三薬)、「ケアマンションを買って、残りの金で生きる、そういう人が多い。私も重すぎると思った」(水牛)などの意見が出た。終の住処を売るという状況の重さ、深刻さに対し、冬隣というほんわかした季語がそぐわないように感じられたのではないか。  作者の説明によれば、五十年前に終の住処と思って買った家を、転勤の間に貸していたら借主が出てくれず、泣く泣く売りに出すという。読み手の想像とはまた違っていた。終の住処を売りに出す状況にどんなドラマを想像するか、さらに冬隣の季語にどんな印象を抱くかによって、評価が分かれたように思う。 (迷 21.10.31.)

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人と灯の戻りたる街冬隣     杉山 三薬

人と灯の戻りたる街冬隣     杉山 三薬 『合評会から』(日経俳句会) 而云 今のことですね、分かりやすい。いかにも「冬隣」だという句と違って、それが却って余裕があるというふうになった。 迷哲 雰囲気がよくて。緊急事態解除後の時事句ですが時事句らしくないと言える。冬に向かう季節でちょっとした賑わいがある風景。 双歩 多少は寂しいのでしょうが、季語に寄り掛かっていないのがいい。 雅史 意外と早く戻って来た日常の光景です。ずっと続けばいいのですが。 朗 賑わいも多少は戻ったかなと実感しています。コロナ籠もりも終わりに近づいているのでしょうか。 光迷 今年ならではの一句でしょう、緊急事態宣言が解除され外出もしやすくなって。往時のように飲めや歌えやとはいかないけれど。           *       *       *  「冬隣」という季語には、「ああ、厳しい冬が来る」という厳しく、寂しい感じがつきまとうのだが、この句の「冬隣」には明るさと温もりがある。言うまでもなく9月30日を以って「コロナ緊急事態宣言」が解除されたことによるものだ。作者は「こないだ府中を自転車で走った。人が出ているし明るい。ガラにもなくセンチメンタルに詠んだ」と言う。明らかに時事句なのだが、あからさまに時事を詠んだ感じのしないところがいい。 (水 21.10.29.)

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秋晴れでどら焼き二つ買いました  大平 睦子

秋晴れでどら焼き二つ買いました  大平 睦子 『この一句』  俳句に馴染んでくると、「や」「かな」の切字を入れ、旧仮名遣いに気をつけて、「見つけた」を「見つけし」などと気取り、五七五の調べに狂いはないか、季重なりは大丈夫か、などなどの約束事を守ることで俳句らしく粧うことに腐心する。作句する以上、ある程度当たり前のことだ。もっとも、あまり形式に囚われると、却って伝えたいことが薄まるという嫌いも生じる。  掲句はどうだろう。一見、ほとんど散文のようだ。例えば、日記に「掃除も一段落したので外出。家を出ると、あまりの秋晴れで嬉しくなって和菓子屋さんでどら焼きを二つ買いました」と長く書かずに、「秋晴れでどら焼き二つ買いました」と一行で済ませたような雰囲気だ。筆者なら、「秋の晴どら焼き二つ買ひにけり」などともっともらしく詠んだかもしれない。  ところが、先の月例ではこの句に人気が集まった。しかも、「今回一番気に入りました。素晴らしい」(反平さん)や「ものすごく俳句の上手な人が作った句かも」(定利さん)などと大絶賛。やや舌足らずなあっけらかんとした口語表現に、作者の高揚感が素直に表出され、共感を呼んだのだろう。もっとも、狙ってこういう詠み方をすると、きっとあざとさが見透かされるだろう。天真爛漫な作者にしか詠めない一句だ。 (双 21.10.28.)

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木犀の香りのつなぐ記憶かな  流合 研士郎

木犀の香りのつなぐ記憶かな  流合 研士郎 『合評会から』(日経俳句会) 水牛 我が家にも木犀が一本あるが毎年律義に咲く。今年は例年になく早く10月初めにぱっと咲いて散ってしまいましたが、あの強い香りで、咲けば必ず気が付きます。これもその特徴的な香りを詠んだ。「つなぐ記憶」がことに上手いなと思う。 而云 記憶を呼び起こすという意味を「つなぐ記憶」、これは上手い。 青水 誰しもが思い当たる感慨を、洗練された措辞で的確に表現して秀逸。 操  木犀の芳醇な香りがつなぐ記憶。その記憶がどんなものかと想像をかきたてる。 幹事 久々に復帰の研士郎さんの句に両顧問が絶賛です。           *       *       *  操さんの句評にもあるように、どんな思い出なのか、この句は何も語っていないからわからない。でも、詮索する必要はあるまい。それこそ「いろいろな記憶」なのだ。遠くは子供時代から、近くはつい数年前まで、頭の中は「記憶」ではちきれそうになっている。それが、木犀の香りとともに、次々に蘇ってくるのだ。  仕事のこと、職場が変わったこと、身辺の環境変化等々わっと押し寄せて、俳句どころではなくなった。それが何とか一段落して、句作に時間を割く余裕が生まれたようだ。何よりである。数年のブランクを感じさせない感受性豊かな句を示してくれた。(水 21.10.27.)

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跳べぬ身の冬空睨む石蛙     中村 迷哲

跳べぬ身の冬空睨む石蛙     中村 迷哲 『この一句』  上五中七で「はて、何だろう」と考えさせ、答えを見れば「石蛙」。石ならば跳べないのは当然、当たり前なのだが、どこか面白い、おかしみがある。ただ「なぜ石蛙…」「それも冬空に…」という疑問が出るかも知れない。説明すれば、これは十月半ばに深川の芭蕉ゆかりの場所を巡り歩いての吟行句なのだ。  これで「ははん」と思われる方もいるだろう。深川は蕉風を確立した場所であり、蛙は「古池や…」にちなむもの。芭蕉庵のあった場所は確定されてはいないものの、大正時代に台風の後、芭蕉遺愛のと目される石の蛙が出土、そこに芭蕉稲荷が創られた。その石の蛙はいま、江東区芭蕉記念館に展示されている。  蛙が空を睨んでいても不思議はない。ただ吟行が暦の上では秋の日だったことから、「冬空」を疑問視する声が出た。当日、大川の上の空は鉛色で、冬の感じだったけれど…。ここで知性尊重か情感優先かの議論をしても意味はあるまい。ただ、これぐらいの創作は許されていいように思われる。「荒海や…」の芭蕉に、実際は佐渡も天の川も見えなかったはずだから。 (光 21.10.26.)

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萩こぼる大川端の翁の像     前島 幻水

萩こぼる大川端の翁の像     前島 幻水 『合評会から』(深川芭蕉旧跡吟行句会) 可升 嘱目の句だと思うのですが、短時間の吟行の間に「萩こぼる」という表現を見つけたのは作者の力量だと思いました。まさにそのように萩が乱れ咲いていました。 白山 吟行らしい素直な写生句でした。萩がこぼれるくらい咲いていました。 光迷 夕方になると芭蕉の像が川の見える方に向きを変えるという芭蕉庵史跡展望庭園での所見だろう。かなり散ってしまった白萩、池に花をこぼしている赤萩があった。 幻水(作者) 隅田川と小名木川の交わる角の台地に立つ芭蕉像は、折しも淡い紅紫の萩の花に囲まれていた。芭蕉庵に想いをはせて詠んだ句です。           *       *       *  「嘱目の句だろう」とか「吟行らしい写生句」という評が出たとおり、一切の修飾語もなくただ見たままを詠んでいる。吟行句はこう作ればいいというお手本でもあろうか。所属する俳句会の晴れての吟行ともなれば、ここはひとつ傑作をと力が入ってしまうのは筆者も功名病を患っているに違いない。萩の花は残り少なであったが、確かに零れ散って芭蕉像を置く展望庭園の小池に浮いていた。この句を見て句会の一座はそれを思い出したはずである。吟行の一行がひとしなみ見聞きしたものを外連味なく詠めば、これぞ吟行句となると筆者は改めて思い知ったことである。 (葉 21.10.25.)

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秋深し萬年橋に探す亀      須藤 光迷

秋深し萬年橋に探す亀      須藤 光迷 『この一句』  芭蕉の旧跡をたどる深川吟行で、萬年橋のたもとで詠まれた句である。  江戸は17世紀末には人口百万人を超え、しっかりとした町割りと水道まで普及した世界最大の都市に発展していた。この大都市の消費を支えるための物資を運ぶ大動脈が隅田川。関西、東海からの産物を日本橋に運び、房総・常陸さらには東北の産物を利根・荒川水系から受け継いで繋ぎ、それを脇から支えたのが運河小名木川であった。その小名木川が隅田川に流入する門戸にあるのが萬年橋である。  塩、米、麦、味噌醤油、酒、海産物、野菜、木材などをせっせと江戸に運んだ小名木川。江戸時代から大正の関東大震災までこの水運は生きていた(細々とだが昭和30年代までは実用に供されていた)。河口の萬年橋も重要な橋。この橋番は収入源として川で取れる鰻、泥鰌を売り、「放し亀」を売ることを認められていた。「放生」という、捉えられた生き物を放ち逃してやることによって果報がもたらされるという俗信に基づいた行いで、特に「亀は万年」ということから萬年橋の亀の放生は名物になっていた。広重の「名所江戸百景」の萬年橋の図も吊るされた亀だ。  放された亀は「あ、またか」とその辺に撒かれた餌を食べ、のそのそしているうちに橋番や付近のガギ共にまたまた捕まえられて吊るし亀にされる、という話が残っている。古典落語の本題に入る前のマクラとして昔はよく使われた。この句はそういったことを巧みに詠み込んだ傑作である。 (水 21.10…

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秋の句座障子あければ隅田川   廣田 可升

秋の句座障子あければ隅田川   廣田 可升 『この一句』  都内のコロナ緊急事態宣言が解けて、ほんとうに久しぶりの吟行であった。この年、吟行らしいものは、1月に感染の危険を顧みず歩いた亀戸七福神吟行と3月末のごくごく地味に集まった有志6人の桜吟行で、多摩霊園、国立の桜並木と谷保八幡宮を歩いただけ。それだけに参加14人とまとまった今回の吟行のうれしさ楽しさは格別の感じがしたものである。今回は深川の芭蕉の数々の跡を訪ねたのであるが、ファンお馴染みの臨川寺をスタートに芭蕉記念館で終着というコース。  上に掲げた句は、その芭蕉記念館で様々な資料を見、館員の方から懇切丁寧な解説を受けた後、同館3階座敷を借りて句会を開いた際の高点句。江東区に住む幹事役の作者はここによく来るという。座敷に上がると、かの人は手慣れたごとく障子をさっと開け放した。樹々で大川がすっきりと見えたわけではないが、植え込み越しにまぎれもなく隅田川の一部。「障子あければ隅田川」の措辞がその通りと、みごとに詠んだ。元来、自宅以外で障子を開けると思わぬ風景に出会うのはしばしばあること。まして場所は江戸情緒の残り香がする深川、しかも〝芭蕉の館〟と名乗る建物の中である。座敷という閉鎖場面を転換する動作と、一気に光景が変わる開放感がこの句の真面目(しんめんもく)だ。読む人の気分をよくする句で、多くの句友が採ったのもうなずける。 (葉 21.10.22.)

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萩すすき揃へて待てり芭蕉像   今泉 而云

萩すすき揃へて待てり芭蕉像   今泉 而云 『この一句』  緊急事態宣言の解除を受け、10月中旬に深川の芭蕉旧跡をたどる吟行を催した。番町喜楽会のメンバーを中心に14人が参加、久々の吟行に心も足取りも軽く晩秋の下町を巡った。掲句はその時の句で、吟行の目玉スポットのひとつ「芭蕉庵史跡展望庭園」で詠まれたもの。  庭園は墨田川河畔の小高い丘の上にある。山寺をイメージしたという階段を登ると、蛙が飛び込んだ古池を模した小さな池があり、一角には芭蕉の座像が川を向いて設置されている。階段下には薄が伸び、池の脇に植えられた赤萩が花を散らしていた。掲句はその情景を写したものだが、奥の細道にある芭蕉の句「しをらしき名や小松吹く萩薄」を踏まえた、一種の本歌取りの句と読んだ。芭蕉吟行にふさわしい機知に富んだ句と思い、点を入れた。  芭蕉は奥の細道の旅で加賀の小松に立ち寄った際、一泊の予定を地元の俳人に引き留められて三泊している。神社仏閣を訪ねて連句を巻き、いくつか句を残した。萩薄の句は、地名の小松を織り込んだ挨拶句で、芭蕉が小松の土地と人に少なからぬ好意を抱いたことを示している。  作者は俳句の大先達であり、萩と薄を見てすぐに芭蕉の句が浮かんだに違いない。芭蕉が下五に置いた萩薄を、上五に置いて「揃へて待てり芭蕉像」と受ける。時空を超えた言葉のリレーのようにも思え、さらに趣が深まった。 (迷 21.10.21.)

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相撲部屋シャッター降りて冬隣  向井 ゆり

相撲部屋シャッター降りて冬隣  向井 ゆり 『季のことば』  「冬隣」という晩秋の季語は、やや哀愁を帯びていて魅力的だ。「冬近し」の傍題となっていて「水牛歳時記」によれば、「冬近し」が普遍的客観的に「冬が来るぞ」と言うのに対して、「冬隣」はもう少し個人的な感情に引きつけて物事を言う言葉のようだ。要するに、やや心情的感慨が入ったのが「冬隣」だろう。  話は飛ぶが、ちあきなおみに「冬隣」という歌がある。伴侶に先立たれた奥さんが、亡き夫を偲んで、彼の好物だった焼酎のお湯割りを口に含みながら、私を独りぼっちにさせないで、と歌い上げる内容だ。この歌を聞くと「冬隣」の本意がなんとなく伝わる。  掲句は、吟行で訪れた深川巡りでの嘱目。芭蕉旧跡を訪ねる途中、作者はとある相撲部屋の前を通りかかった。本場所の華やいだ喧騒が去り、朝稽古も終わったのか部屋のビルはシャッターが閉ざされていた。その寒々しい光景に、冬の気配を感じ取った瑞々しい感性が句座の琴線に触れたのだろう。作者を除く参加者13人中7人、つまり過半数の支持を得て堂々の一席に輝いた。作者は吟行、即句会という経験は初めてというから驚く。見たままを季語に託して詠んだことで、吟行句にありがちな、参加者だけが共感できる句材、詠み方ではなく、独立した句としても十分通用する秀句となった。 (双 21.10.20.)

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